21世紀をたのしむ「昴」俳句会
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天啓と臨場表現 昴8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
天啓と臨場表現  早瀬 秋彦

 古来から名句と言われている作品は数多くあるが、じっくり味わってみるとかなり絞られてくるように思われる。即ち筆者の観点からすれば、表現が極めて単純化されていて、饒舌に流れることなく、イメージが鮮明なものに限られてくる。
 たとえば、

 金剛の露ひとつぶや石の上  川端 茅舎

という作品にしても、状景描写は極めて明快である。眼前の石の上に露がひとつぶだけ置かれていて、それが光り輝いているというのである。それ以外この一句は何も表現していない。それでいて、静まり返った朝の寺領の一角のような雰囲気が現前してくる。それは「金剛」という、おそらく作者が長時間呻吟した後に生み出したであろう仏教用語の重みから来ている。しかも露という極めて儚い存在に盤石の貫禄を与えているのである。

 駒ヶ嶽凍てて巌を落としけり  前田 普羅

 極寒の甲州の山岳地帯の厳しい様相がくっきりと見えてくるような作品である。作者は山麓の御堂に夜通しこもってこの一句を得たとのことである。読む者の眼前に、その凍てついた巌が轟音と共に迫る思いがする。この迫真の描写力はやはり臨場体験なしでは生まれて来ない。「落とし」は擬人法であり、山そのものが大きな人格のようにも思われる。そして一切の形容詞を省き、名詞と動詞だけで表現している。これが饒舌を逃れる手段ともなっている。筆者年来の秀句に対する考え方は、季語に語らせるということと、形容詞を極力省くということである。普羅作はまさにそれと同様の志向を実践し得ているから、名句と言い得るのではあるまいか。

 闇ふかき天に流燈のぼりゆくり  石原 八束

 茨城県太子にての作であり、筆者もこの夜の流燈会には参列していたから、この作品の情況がくっきりと今でも脳裡に甦る思いがする。普遍性からすれば別に茨城に限ったことはなく、深い夜闇に次々と消えてゆく無数の流燈が、恰かも天へのぼってゆくように思われたというのである。このような情景は筆者が生まれ育った地の利根川中流における流燈会の際にも見られた。亡き魂をとむらう燈の一つ一つが、その名を呼ぶかのように揺れ動き、深い闇の中へ次第に消えてゆく様は哀切の思いを誘う。情緒豊かな一句である。
 以上代表的な三句を挙げて所信を述べたのであるが、このほかにも名句と言われる作品や、作家の名前は数多く浮かんでくる。そして、その一つ一つに作者の眼力というか、対象を執拗に凝視する情熱のようなものが感じられる。それが時代を超えた不易のイメージを読む側に呈示する。天の啓示を得ての表現の妙は、決して安易には生まれ得ないものである。
(ウエップ俳句通信41号より転載)
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