21世紀をたのしむ「昴」俳句会
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「昴」再出発にあたって
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
人生派としての自覚  主宰 早瀬 秋彦

 本誌は石原八束という大きな存在の生涯の志向を継承し、文学として詩としての俳句を追求し続けることを目的としている。あくまでも象徴詩としての自覚に立ち、単なる自然諷詠や機智による表現ではなく、己が人生をしっかりと見据え、その生活実感の中から、力強く湧き起こる感動に根ざした作句を求めてゆく努力が肝要である。俳句が文学として生き残ってゆくためには、 人間への深い関わりが必要であり、 従来の雪月花を目的とした綺麗ごとの抒情や、 無味乾燥な写生のみの繰り返しでは、俳句は次第に自然消滅の危機に陥ること必定なのである。勿論作品の骨法を極めるためには、デッサンとしての写生や、詩としての豊かな抒情は不可欠のものであるが、恰かもそれが目的のごとく錯覚する傾向は作品のマンネリ化へつながってゆく。

 師八束は「生命の詩」と言い、あくまでも「人生派」で行こうと常々語っていた。内観造型ということも、人間内心の苦悩や感動を浮き彫りにして、人生のダークサイドに触れながら中身の濃い表現を追求することを意図してのことであった。常に精神闘争を繰り返し、俳句と生活が一枚になるところまで煮詰めて行き、苦悩する己れ自身を笑いとばす程の境地にまで到達しなければならないとのことであった。さらに師八束は晩年「戦慄と可笑しみ」ということをもしきりに言っていた。心象内観造型という生涯の作句観念を貫いた果てに、自然と滲み出て来る嗤いと、世のさまざまな事象に触れての戦きの中から、真の詩性の発露を模索することを信条としたと思われる。蓋けだし俳句は人生最高の遊びである。さまざまな理論を超越し、自由無碍の境地に遊戯する喜びを味会することが、我々俳句作者の目指す処であることを常に自覚しながら精進して行きたいものである。
(平成十八年秋号掲載)
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