21世紀をたのしむ「昴」俳句会
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詩性探求 3/4
2008-10-01-Wed  CATEGORY: 昴 9号
風光るフランスパンと笑ひ声  伊澤トミ子
 作者独自の俳句世界が展開されている。この一句も日常茶飯の中から発想されたものであるが、何処かエキゾチックな雰囲気を醸し出しているのは「風光る」という爽やかな季語の選定から来ていると思われる。談笑している家族達の声を厨あたりで聞きながら、ひと時の幸福感に浸かっている作者の風貌が浮かんでくる。明るい日射しも感じられる。

肩張つて孤独に耐ふる羽抜鶏  谷口 秀子
 この一句は羽抜鶏の生態を表現しているのであるが、その裏側に作者の人生に対する感懐が秘められているから、一筋縄では行かない風趣が読む側の心に突き入ってくる思いがする。即ち孤独感に苛さいなまれ、それにじっと耐えている一人間の様子が痛切に感じられるからである。〈冬蜂の死に処なく歩きけり〉という村上鬼城作に通じるものがある。

夏柳オフィーリアの指触るるほど  福冨 清子
 夏柳の豊かな緑のしたたりから、作者はシェークスピアの名作「ハムレット」の悲愴な一場面を思い浮かべている。恋人に父ポローニアスを殺されて狂死したオフィーリアの幻が、触れるほどに垂れ下った夏柳の下影に浮かび、その指先にかすかに触れ動くかに感じられたというのである。ほの暗い水面と葉漏れ日のきらめきの中から、妖しく発想された一句の雰囲気が重厚に迫る。

地下鉄を乗り継ぎてゆく桜狩  渡辺 二郎
 江戸時代からの風習となっている「桜狩」は王子の飛鳥山あたりも想像させるが、上野公園や千鳥ヶ淵あたりの風景も鮮やかに思い浮かばせる。特に吉野の桜は雄大に迫る。作者は或る春の一日、その桜狩に赴いたらしい。しかし地下鉄づくめの東京という大都市に住んでいる作者は、幾つもの地中の暗がりを抜けて行く。現代文明の笑えない現実である。

木曾谷の明るくなりし麦の秋  西田 綾子
 木曾に生まれ、木曾で育った作者の豊かな懐旧の思いが込められた作品である。木曽谷をわが家のごとく思い、そこを飛び跳ねて遊びまわった幼時の記憶が何時も作者の胸には甦ってくると思われる。折からの麦秋の季節に久々に故郷を訪れての感懐が「明るくなりし」という中七の素直な感動表現に込められている。

紙飛行機の来てゐる広場水温む  山森千佳代
 明るいメルヘンの情景が鮮明に浮かんでくる作品である。水温む季節に或る広場を訪れた作者が、そこに「紙飛行機」を見出したというのである。どこかの子供が一心に折り上げたと思われるその飛行機の可憐な形が、穏やかな春の日を浴びて静かに傾き止まっている。それを「来てゐる」と表現した中七の効果が楽しい。遠くに子供達の声が響いている。

無我夢中に生き来て枯野見つめをり  山口 梅子
 素直な発想で最近俳句を為すようになった作者の一句である。〈しっかりと生きゆく私からすうり〉という同時作の前に置かれている。「無我夢中」という上五が、必死で生き抜いて来た半生への回顧の思いを示している。そしてその疲労困憊の果てに作者が見たものは茫漠と広がる「枯野」だったというのである。人生観照の深い悟りにも似た思いが感じられてくる。

コーランや隊商宿の夕薄暑  大島 道雄
 シルクロードへの吟行作と思われる。イスラム世界の隊商宿(キャラバンサライ)が並んでいる処を訪れて、厳かに響くコーランに耳を傾けている作者の風貌が浮かんでくる。折からの薄暑の暮れ方に、アラーの神に祈りを捧げる敬虔な声が澄み透るように聴こえている。長旅の疲れも忘れて、ひとり夕影を曳いて佇んでいる作者の姿が見えてくる。

人生の午後は未知数心太  星 道夫
 作者独自の人生観照の味わいを込めた一句である。中七の「未知数」という表現の中に、現代社会に生きる己れ自身の際限のない思考が息づいている。そして午前ではなく午後であるところから、気怠けだるいような生活感覚が彷彿とする。しきりに心太を啜り続けている作者の脳裏に、いぶかしいまでに搖曳する危惧の幻影が際限なく明滅している。
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