21世紀をたのしむ「昴」俳句会
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詩性探求 2/4
2008-10-01-Wed  CATEGORY: 昴 9号
病廊のひそひそ話著莪の花  火野 保子
 病院の廊下の暗がりで、周囲に気を使いながら「ひそひそ話」をしている婦人達の姿が思い浮かぶ。病院であるから、その話の内容もおのずから想像される。病室にいる患者の容態や、家族の状況などをしきりに話しているものと思われる。廊下には初夏の日射しが差し込み、咲き盛る著莪の花がかすかに風に揺れている。ささやかなドラマの展開を思わせる一句である。

春眠の独り占めなる虚空かな  小林貴美子
 〈吾とわが虚空に堕ちし浅寝かな〉という永井龍男作を彷彿とする。揚句は「独り占め」という中七に特徴があり、作者独特の世界を展開している。即ち熟睡している「春眠」の夢の中に第三者を踏み込ませまいとしているのである。せめて此処だけは自由自在に己が世界に遊戯しようとする健気な女性心理が、一種メルヘンの息吹きを感じさせているのだ。

余生なほ目立ちたがりや葱坊主  大竹 仁
 この句にも作者独特の諧謔世界が展開されている。すでに「余生」を意識する年代にさしかかった一人物が、未だ虚飾の思いを振りきれず、変な競争意識を持ち続けている。作者はそれを一人傍観し、冷笑しているような感じである。「葱坊主」という季語が、年甲斐もない生き様を寓意しているようにも見えるあたりが実に面白い一句となっている。

淡泊に生き八十路の夏衣  鈴木八重子
 〈御手打の夫婦なりしを更衣〉という蕪村の有名な作が思い浮かぶ。若き日よりのさまざまな苦境の果てに、やっと掴んだ夫婦の平穏を描いたものであるが、揚句はあまり波風も立たないままに八十路を迎えたというのである。己が人生への一抹のもの足らなさを覚えながらも、淡々とした今の倖せを実感している静かな心境が伝わってくる。

荼毘を待つしじま明りに春の雪  石井 深也
 誰しもがよく経験する情景である。黒衣を着た人々が火葬場の待合室で荼毘が終了するのを静かに待っている。各々が故人の思い出に浸りながら、言葉少なく俯き加減に固い椅子に腰掛けている。折からその雰囲気の中にふと窓外に目をやると、春の雪が静かに舞い始めたというのである。亡き人の終章を華やかに彩るかの雪の白さが鮮明に見えてくる。

余生とは未知の歩みや春朧  久保田シズヲ
 決して技巧に走った作ではないが、作者のひと時の感懐を素直に吐露した一句として注目した。次第に年齢が深まり、己が余生を意識するようになって、果たしてあと何年この世に生きていられるものかと誰しもが考えるものである。しかし誰も答えてはくれない。そんな淋しさの中で、作者は春朧の中に「未知」の二文字を思い浮かべたというのである。

傘立てに杖もまじりぬ夏期講座  原 繁子
 これもよく見かける情景なのであるが、誰しもが日常茶飯の中で見過ごしているかもしれない。即ち「傘立て」には色とりどりの傘がさし置かれているのであるが、作者はそこに杖もあるのに気付いたというのである。足弱の老婦人あたりが、会場に入るのに気を使って置いて行ったものと思われる。微笑ましいひと時の情景の中から詩が生まれている。

吹かれゐる白寿の叔父の白絣  鈴木 昌子
 九十九歳になる長寿の叔父が皆に祝われて、静かに微笑んでいる情景が思い浮かぶ。何処かのホテルか会館あたりで、ささやかな祝宴が今しも始まろうとして、孫や曽孫を交えた親族がその準備をしている。本人は涼しい風の吹き入る回廊あたりに腰掛けて静かにそれを待っている。白絣を着た清楚な貫禄ある姿に、ひと時見入っていた作者と思われる。
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