21世紀をたのしむ「昴」俳句会
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リレー俳談  昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
リレー俳談

イチローの至言  渡辺 二郎

 本年一月二日夜九時NHK制作の「プロフェッショナル仕事の流儀「イチロースペシャル」が放映され、イチローの名で親しまれている鈴木一朗さんのメジャー入りから七年の生態が画面一杯に映し出された。
 イチロー、奥さん、愛犬一匹、特に際立った生活様式でもなく一般の人と何等変るところは見られなかった。ところがである。キッチンの一台の冷蔵庫をあけて見せた時その内容に驚いた。深底の鍋が何段にも入っているだけで他には何もないのである。そしてその中味は奥さん手造りのカレーであった。
 イチローはそのカレーを毎日決まった時間に規則正しく朝昼兼用の食事として食べ続けているのである。この生活のリズムが今迄の成績につながっているというのである。そしてそのカレーの絶対性と言える不変的な味を維持する奥さんの心遣いと努力に感服させられた。イチローは「私の仕事より家内のこのカレーを作ることの方が大変だと思います」と言っていたことが妻に対する大きな愛情をうかがわせていた。イチローはこんなことも話していた。「重圧が来たら俺は逃げない、もがいて苦しんでいると光が見えてくる。何時か見えると思って何もしなければ一生光は見えない」「同じ処でずっと見ているよりも一寸離れてみたら景色は変るんじゃないか」
 一流中の一流になっても常に抱いている努力と向上心のあり方に教えられるものを感じた。私は日頃から壁に突き当って試行錯誤の繰返しをしているが、イチローの言葉は全く作句に当っても同じことと言えるのではないだろうか。どんな変化球でも片端しから打ちこんでゆくプロフェッショナルな度胸と卓越した技量は、七年間も同じカレーをたべ規則正しい生活をおくり、そして球場へ足を運んでくるファンを喜ばせることに懸命な姿は、やろうと思っても一朝一夕に出来ることではないことを充分納得させられた。ということは更めてイチローの言葉は作句する上において我々に通用するし忘れてはいけないことだと思うのである。
 結びとしてイチローは、今年は八年目、連続二〇〇本安打が目標と報じていた。



江戸の町  小林 貴美子

  陽炎や明神下に江戸の影

 三月の句会で頂いた、老川先生のお句です。陽炎の向うに江戸の町が見えてくる思いに暫しひたりました。私が国民学校二年生の頃に味わった、別世界の感覚を思い出したのです。明神下と言えば、神田明神の後の町。私は神田小川町の近所の友達数名と遊びに出かけ、明神様へ参拝し境内を巡り本殿の後方へまわりました。するとそこには思いがけない青空が広がり、目の前に何もなかったのです。そこの際まで行き、下を見下すと、瓦屋根が黒々と静まる町並がありました。左の方に下へ向う細い石段があり、私たちは誘われるように下りて行きました。長い石段を降り立った所は、神田には珍しく静かな町が軒を列ね、閉った格子戸の前を歩いて行くほどに、神隠しに会うような不安な気持にかられ、今来た道を一目散に走り、石段を見つけて登りました。息がきれそうだったのを覚えています。その町が、野村胡堂が「銭形平次捕物控」に書いている江戸の町だったのか。神田台所町。「親分、大変ッ」日本一の浅黄空、江戸の町々はようやく活気づいて、晴れがましい初日の光の中に動きだしたとき、八五郎はあわてふためいて、明神下の平次の家へ飛び込んできたのです。―銭形平次のプロローグ―
 神田明神の銭形平次の碑の隣りに、「国学発祥之地」今東光撰文と記された碑があります。江戸中期に、東光と芝崎神主による国学の教堂がこの地にあり、賀茂真淵、本居宣長等国学者を輩出し、今日の国学の基をなしたとか。明神様から天神様へ、この辺りは俳句にもよく詠まれますが、神田明神の横の道を辿って行くと湯島の天神様。その途すがら湯島三丁目を訪ねれば、私たちの俳誌「昴」の発行所があるのだと思います。「昴」は私たちの教室。老川主宰のお書きになられた「人生派としての自覚」を改めて読みました。先生の主意を理解し、精進をつづけて行きたいと思います。
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