21世紀をたのしむ「昴」俳句会
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編集後記  昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
編集後記

 寒昴から昴になりまして一年を無事に過ごすことができました。又今回は、俳人協会より俳誌と認められ、会員推薦も一名枠をいただくことになりました。引き続き内容も充実して二年目に入りたいと思います。
 構想といたしましては、俳人をお呼びして座談会等を持ちたいと思っております。最初は誌上座談会かと考えています。皆様の忌憚ないご意見をお待ちいたしております。尚、同封しておりますが、年会費の納入をよろしくお願いいたします。
(友男)

 桜の花も散り、季節は、夏が真近か。皆様、お元気でご健勝のこととお慶びします。再出発の昴も、一年を経過し、これより真価を問われる二年目に入ります。老川主宰からは、秋口までを目途に、会員総会を開くようにと、言われています。具体的に向け、進めてまいります。全員参加を期待しています。
(守信)


◎入会について
 入会を希望される方は、発行所までお申し込みください。
 本「昴」は年四回(一月、四月、七月、十月)発行の季刊誌です。


年会費
 新年度(四月~三月)より次のように改めた
 同人 (星雲)一万二千円
 準同人(星霜)一 万 円
 会員 (光芒)八 千 円
 振込み先 ㈱新製版 昴出版事業部
 振込み口座 朝日信用金庫 湯島支店
 代表 西村充志アツシ
  普通口座 〇一四―〇三八〇九五八


原稿依頼 次夏号(通巻第二九号)
 ・雑詠 十句 題名を付す
 ・題詠 三句
 ・用紙 巻末の昴投句用紙を使用
 ・締切 平成二十年五月末日
 (締切厳守してください)


昴 第七号(通巻二八号)
   平成二十年四月末日発行
 頒 価  一、〇〇〇円
 発行人  早瀬秋彦
 編集人  西村友男
 発行所  昴俳句会
  〒一一三―〇〇三四
  東京都文京区湯島三―八―八
  株式会社新製版 昴出版事業部
  TEL 〇三―三八三六―五七二六
  FAX 〇三―三八三六―四五六四
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他誌管見   昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
他誌管見  岸本 正子

 (耕・海原・雲取・鴻・春野)

「耕」2008 二月号
 主宰 加藤耕子
 発行所 名古屋市瑞穂区石田町一―三六―七
  主宰作品「棹秤」より
 いてふ降る閻魔の使ふ棹秤
 板の間にしんと貼りつく夜の寒さ
 年惜む一日オペラに身を預け
   「樹林集 Ⅰ」より
 落葉して地に明るさを移したる 日比野里江
 割烹着の紐を固めに今朝の冬 山川 和代
   「樹林集 Ⅱ」より
 霜除もなき被爆樹の亀裂かな 重本 泰彦
 黄葉して母校に今も金次郎 水谷 成一
 主宰の選評中に、一句目の重本泰彦氏は「被爆者としての使命を果すべく広島の被爆を終生のテーマとして居られる。」とありますが道理で一読するや強かに胸を打つ何かを感じ取りました。今後ともご健勝にて作句を…。
 “発刊のことば 加藤耕子・有志一同”
 「俳句と文章の雑誌「耕」を発刊いたします。自然を作品の心とし、自己の胸を耕し、みがきあい高らかにヒューマニズムの灯を掲げます。作品にこめられた志が「耕」の風土をより滋味あるものとするよう期して居ります。」
 右の通りの内容の作品の満ちた一誌と存じます。

「海原」2008年 2月号
 主宰 木内怜子
 発行所 厚木市旭町一―二三―三―二〇五
  主宰作品「紅梅」より
 寒の水胃の腑へ喝を入れにけり
 紅梅や齢のことはさておきて
 いちめんの縞目こよなき麦生かな
   同人作品「珠玉抄」木内怜子推薦より
 居酒屋のいつもの席に熊手おく 阿部 佑介
 栗干すやひと日に古ぶ新聞紙 龍野よし絵
 日向ぼこ時間長者となりにけり 澁川 君枝
 鮟鱇の箱の形に生きてをり 松永 律子
 烏瓜重さの出でし色となり 本杉 純生
   「海原集 木内怜子選」より
 雑念の吸ひ込まれたる冬の空 小田原和子
 小田原氏の句の主宰評中に、「冬の空のさを伝えるために空とは全く異なる「雑念の吸ひ込まれ」と言い、読む側に冬空のイメージをゆだねたところに良さがあります」とあります。読者それぞれの。
 隣の灯見ゆる北窓塞ぎけり 小牧 初実
 小牧氏の句の主宰評の後尾に、「人との交りは難しいものですね。」とありますが…まことに。
 暗默の猫の集会冬満月 滝沢 千代
 ミステリアスな光景が目前に拡がります、冬満月の力は大です、言い得て妙。
 後記の主宰の文中に「近辺の方は直接「海原」の句会に出られるのですから遠くの方々とくらべ、より謙虚に進されますよう期待しています」と珠玉のお言葉が。

「雲取」2008年3月号
 主宰 鈴木太郎
 発行所 西東京市北町三―三―七
  主宰作品「狐火」より
 狐火の山おほかたは蓮如みち
 冬蕨命あるもの吹かれをり
 母亡きをうべなつてをり冬至の日
  豊雲集(同人欄より鈴木太郎選)より
 媛神に産みの力を冬うらら 下條杜志子
 枯萩にみづうみの音ありにけり 鈴木多江子
 初潮の珊瑚の化石拾ひをり 松永 幸子
 霜月の菊坂銘仙似合ふひと 藤 道枝
  積雲集 鈴木太郎選より
 掌中のもの零すまじ萩の風 橋 明子
 空に懸大根の力あり 中村由紀子
 一族の集ひて靜か施餓鬼寺 石川 力也
 橋氏作品の主宰評中に「萩の花はまさしく作者でもあるのだらう。また零してはならぬものは、自分を温めてくれる俳句や言葉でもあらうか。」とありますが、このお言葉もまた零してはならないと存じます。
 雲取十周年俳句大会の模様を記された下條杜志子氏の文中より一部を写記致します、「二百句に近い句は筆者にはどれも確実に前を向いて動いている氣配が読みとれた、巧拙をたがわずこれが「雲取」の原点であり、原動力ではないだろうか。句の姿の後ろから太郎氏の張りのある声が聞こえてくる。」
“雲取誌創刊十周年、おめでとうございます”

「鴻」2008 二月号
 主宰 増成栗人
 発行所 松戸市三矢小台2―4―
  主宰作品「冬まつすぐに」より
 沖に日矢鷹に男のここころざし
 冬まつすぐに麹場のがらんどう
 葱畑の真上の空が妻の空
 凛とした葱は、あくまでも他を引き立ててくれる名脇役で味覚界になくてはならぬ存在。
 このお句から慧津子夫人の御心柄が偲ばれますし、在りし日に真っ白な割烹着で甲斐甲斐しくキッチンにたたれたお姿が目に浮びます。
  蒼韻集より
 目つむりて見えるものあり雪しんしん 後藤 兼志
 冬仕度妻でありしはとほきかな 喜多みき子
  鴻作品集 増田栗人選より
 松笠のウェルカムリース山は雪 水上美津子
 冬りんごだんだん怖くなる童話 滝山  紅
 成人して改めて読むと底にひそむ怖さに慄然と致します。童話だから尚更。冬りんごの季語が心憎く、センスの程が偲ばれます。
  音集 増田栗人選より
 人にある帰巣本能冬の月 門馬 純子
 いつもとほる坂道されど十三夜 山内 宏子
 雪国の子らの明るき九九の声 原田  孝
 日向ぼこどつと笑ひしあとさみし 萩原 良子
 三句目と四句目 齢の大きな差を感じます。(ところで九々全部諳じられるかしら…筆者)
 栗庵閑話の「おでん」で知りました、あの芭蕉が蒟蒻が大好きであったことを。
 主宰の作品抄選評の文中に登場される「針谷定史氏」に教えられました、見事な晩年の生き方を。酸素ボンベを着用されての連載「西行論」の覇氣と熱の籠った迫力、しかし涼しく調った文体の力作に。
 呼吸器のわが息ぬくし冬空 針谷 定史
 エッセー・句・文・他、どれも力を注ぎ込んだ作品であることが読み取れる一誌。

「春野」2008 2月号
 主宰 黛  執
 発行所 神奈川県湯河原町宮上二七四
  主宰作品「夜汽車の灯」より
 ざうざうと山鳴る後の更衣
 枯山となる余すなく日を容れて
 湯ざめせし眼に遠い夜汽車の灯
  「日の匂ひ ながさく江」より
 胡麻を打つ日のぬくもりの一莚
 日の匂ひ集めて蓮の枯れゐたり
 銀杏ちる母と子に日のベンチかな
  「当月抄2月号 推薦作品」より
 冬波のひたすら白を押し通す 松本いさを
 御符貼つてあり白鳥の餌付け小舎 竹内 靜子
 冬ざれの村に全き月の出て 石川いち子
 紙幣四つ折一葉の忌なりけり 佐野日紗子
“黛 主宰の文中より”
 「私は句会では参加者の選句のありようにもっとも注意を払う。誰がどんな選をするか、その選のありようだけで、ほぼその人の資質と将来性が推量できるからである。」
“特別作品鑑賞 ながさく江”より
 掌の冷えてゆくなり曼珠沙華 椿  文恵
 「借りものでない独自の感性で、心象の彼岸花の中枢に触れた句…以下略…。」
“季語の周辺「春寒」田辺栄一”より
 春寒の白粉解くや掌 内藤 鳴雪
 「化粧に余念が無い女人というのは男性にとっていつの時代もエロティックに映ります。私にも女性のエロスを捉えた一句を成したい願望もありますが、そのためには駄句を幾つも重ねなければならないでしょう。」
 “マフラーの中にしみこむ朝の風 小六 瀬川 麻里”
 小一から中三まで栴檀の双葉も多数の芳しい「春野」誌。


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沖縄の季語の魅力  道官 佳郎
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
沖縄の季語の魅力  道官 佳郎

 毎年、本土を桜前線が北上する頃になると、私は沖縄の島々に吹く湿気を含んだ生暖かい風と、その下で白い波頭を見せる珊瑚礁の美しい風景を想い出す。
 沖縄でいう「うりずん」の季節の到来で、沖縄独得の自然の季感が島をつつみ、心を和ませるシーズンの到来を感じるからである。
 私は現役時代、昭和五十二年から三年間沖縄に在勤した想い出があるが、この沖縄特有の自然と気候、その中で暮らす人々の生活習慣の豊かさに、今でも限りない愛着を覚えている。
 沖縄と言えば、美しい海や空の観光の島、あるいは沖縄戦の慰霊の島、米軍基地の島など多面的なイメージがつきまとうが、もう一歩踏み込んで、この島に住む人々の魅力ある風習やしきたり、そして亜熱帯特有の動植物などの実態については、案外知られていないことが多い。
 そうした中で、沖縄の季語の存在はまことに貴重である。私は沖縄在住時代に、地元の琉球新報の「琉球俳壇」欄を度々読んでいたが、かなり教えられることが多く、沖縄の友人達との交遊にも大変役に立った経験がある。
 以下この時季の季語をいくつか書き抜いてご參考に供したい。

 「うりずん」
 うりずんは、うりじん、おれづみ、うりづみ等とも言われる。陰暦の二、三月頃麦の穂の出る頃の降りみ降らずみの時期である。
 琉歌に「うりつみウリズンのヌ夜雨ユアミ 節々も違ぬシチシチンタガン 苗代田のナシルタン稲ニ ヤや 色の清さイルヌチユラサ」とある。
 年中暖かい沖縄では、四季のけじめがはっきりしないので、春という語が元来なかったためか定説がなく、彼岸明けから立夏前までの曇や雨の日を指したり、現在では花曇に似た気候に使うことが多いようである。
 この時期、首里の金城町の石疊などを散策すると、そこはかとない情緒がある。
  うりずむや黒潮匂ふ畠を打つ  神元翠峰
  うりずんや月見えてゐて雨降れり  小熊一人

 「浜下はまおり」浜下はまうり
 陰暦三月三日、各戸で蓬餅を仏壇に供え、そのご馳走を持って浜辺に下り、手足を海水に浸して不浄を清め、健康祈願をしてから、潮干狩などで楽しく遊ぶ習慣である。
 美男子に姿を変えた蛇の種を宿した娘が、海の潮で払い流したという伝説に由来するらしい。観光で名高い宮古島近海の「八重干ヤ エ ビ セ」もこの頃のことで、観光客を交えた「浜下り」を行うので有名である。
  浜下りや紅の点うつ島の菓子  平本魯秋
  浜下りのみやらび眉をうすく塗り  兼城義信

 「草蝉くさぜみ」
 若夏を告げる昆虫に草蝉がいる。学名イワサキクサゼミである。仙台藩士の二男に生まれた岩崎卓爾氏が明治三十一年に石垣島測候所に赴任、発表したもので、体長一センチ足らず、甘蔗や芒などの葉に群れて汁を吸う。チッチッと鳴き出しジージーと鳴く。
  草蝉や漆喰厚き墓の口  小熊一人
  草蝉のまだ昇り来ぬ甘蔗の丈  進藤一考

 「若夏わかなつ」
 四月末の穀雨の頃から五月の初めにかけての時節で初夏の候を指す。琉球古謡の「おもろ」では、うりずんとの対語として使われている。本土復帰を記念したという昭和四十八年の若夏国体も、この言葉を使った。
 若夏ワカメツイがなれば 心ククル浮かされてリティ でかよう真肌苧よマハダラウユ 引フイきやチヤイり遊はアスイ
 (若夏の季節になれば心も浮き浮きとして、さあ乙女の柔肌のように奇麗な芭蕉の糸を引いて遊びましょう)
 まことに沖縄の風土の香り立つ言葉である。
  若夏の魔除獅子シーサーいかる屋根の上  角川源義
  若夏の碧海めぐらす地に棲まむ  矢野野暮

 「梯梧でいごの花」
 奄美大島以南の各島に自生または栽培され、太い枝に刺が密生する。花は長さが七~八センチ位、真紅色の蝶形の花である。
 枝先に小鳥が羽を拡げ樹枝をついばむ様な形で群れてつくのが特色。
 真紅の花が碧空にうかびまことに壮観である。花期は三~五月頃。さんだん花、黄胡蝶と共に、琉球の三大名花と呼ばれ、特に梯梧の花は沖縄県の県花に指定されている。
 公園や街の大通りなどを歩くとき、亜熱帯の太陽に映えて燃えるように咲き、いかにも南国らしい印象を与えてくれる花である。
  花梯梧海に突き出て碑をのぞく  角川源義
  花梯梧星を殖やして夜も炎ゆる  小熊一人

 「月桃げっとうの花」
 方言ではサンニンという。花期は四~六月で、沖縄が梅雨に入る頃から、雨の雫を吸って山野に咲く。花の長さは六センチ位。
 山裾などに眞っ白な花弁が点々と咲く様は見事で、独得の甘い香気を発する。
 葉は餅やおにぎりなどを包むのに利用され、そのうつり香が楽しい。
  月桃の葉づれに洗ふ明日の鍬  平良雅景
  牛鳴いて野の月桃が星まとふ  松本翠果

(引用參考図書 底月城著「南島俳句歳時記」、小熊一人著「沖縄俳句歳時記」)
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東京タワーの五十年  藤原 香人  昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
東京タワーの五十年  藤原 香人

 東京タワーは昭和三十三年に開業した。思えば戦後の東京の復興の象徴的なものであった。終戦、復興、それから高度成長へと日本の活力が充実して行く時代であったと言えるのではないか。このタワーには総合的な電波塔の使命とは別に、国産の資材と日本独自の技術で、エッフェル塔をしのぐ地上三三三メートルの世界一の塔を建てる意味もあった。現在の地上一五〇メートルの眺めは平凡で、六本木ヒルズや東京ミッドタウンなどの高層ビルによって、当初の面影はなくなった。それでも赤白の鉄塔は世界に誇る存在感がある。思えば、東京タワーの半世紀は、昭和が三十年、平成の二十年と両方にまたがる日本の栄光の時代であった――が、バブル期から日本経済は下り坂に迷い込んだ。大田弘子経済財政大臣は、先の国会演説で、いまの日本は一流の経済大国ではないと内外に表明した。
 日本電波塔株式会社としては、開業五十周年事業として、大展望台へのエレベーターの改修工事をはじめ、タワー五十年史も出版することになっている。タワーへの来場者は開業翌年の年間四九四万人から、一時二三〇万人まで減少し、最近では三二〇万人まで回復して来たが――三年後に迫った地上デジタル放送への移行によって、墨田区に建設される新東京タワーに総合電波塔の座を奪われることになり、展望塔としての生き残りを迫られることになる。東京タワーの川田総合企画部長に、これからの経営方針についていろいろ聞いてみた。「東京タワーには根強いファンがたくさんおられる、五十年の歴史をしっかりみつめてやって行きます」。有識者懇談会がまとめた東京タワー未来構想も真摯にうけとめているが、いま具体的に動く構えは見せていない。ともあれこの五十年間、ここで出会った人々、全国からつめかけた修学旅行の生徒達が、青春の心に刻んだ東京タワー。敗戦後十三年でこれができたのだから、みんなで頑張れば道は開かれると確信する。
雪霏霏と東京タワーを降り隠す  香 人
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現代俳句管見(七) 米山 光郎  昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
現代俳句管見(七) 米山 光郎

今もなほ敵は己れや老の春  深見 けん二 (「俳句」三月号)
 深見けん二氏は、すでに八十歳を過ぎて久しいが、句柄は伸び々々と自然の中に己れを存分に遊ばせていてたのもしい。俳句はともかく、いかに自分を詠うかといところに起結する。だから俳句は、私自身だといっていい。
 〈今もなほ〉の句は、己れを自身の目でとらえて詠っている。〈敵は己や〉という中七の表白は誰れにでもできるものではない。こうして表白された句に接すると、深見氏だけの想いではなさそうに感ずるけれども、でき上った作品を見ているからであって、やはり、作者のものである。しかも〈老の春〉というきめ方は、俳句人生をこれまで歩いてきた人でないとなかなか思いつかない言葉である。
 俳句のもつ独自性がこの〈老の春〉には、しっかりとこめられていて動ぎない。深見氏の詩性はまだまだ余祐がある。

懐剣の如き句が欲し寒に入る  藺草 慶子 (「俳句」三月号)
 蛇笏の句に〈炎天の槍のごとくに涼気すぎ〉というのがある。勿論このことは作者は百も承知のことである。刃物の鋭さを刃物を直接使わないで表白することも、ひとつの方法であるけれども、槍や懐剣を直に表白して、そこに鋭さを求めることは、たやすいことではない。
 〈懐剣の如き〉の句には、〈懐〉という文字の持つ意味合いが非常に深い。これは、俳句は、日本語だから成り立つ詞芸であると常々思っていることにつながる。十七字の最短詞芸は、日本語の持つ一語の多重性があってはじめて可能なわけである。〈懐剣の如き句〉俳句は、この懐剣の詩魂をさぐり出して詠うことにつきるのである。〈寒に入る〉という下五は、作者の今ある姿といってもいいのかも知れない。

色違ふ荷の紐を足す夜長かな  能村 研三 (「俳句四季」三月号)
 能村研三氏は、父・登四郎の句誌「沖」を継いでまだ浅い。俳句界のホープというにふさわしい。俳句は、登四郎よりも柔和でいて鮮しい。これは、二十一世紀の俳句の明るさを示しているのかも知れない。
 〈色違ふ〉の作品から、作者のゆとりあるものの見方が窺える。〈色違ふ荷の紐を足す〉という表白の流れからは、若者の短絡さがない。句の調べは入江にゆるやかな波を思わすに十分である。〈夜長かな〉という結句がなんの抵抗もなく決まっている。たしかに、その波に浮く風景には、若さを感じさせてくれる。〈色違ふ紐〉という内容がそれである。
 俳句という十七字の中に、これ程豊かな想念を伝えるということは、やはり若さのしかるしめるところかも知れない。

古家屋埋めやうのなき隙間風  石井 保 (「俳句通信」42号)
 季語の中で「隙間風」は一番、俗な言葉のひとつであるかも知れない。和歌は雅、俳諧は俗という論からいうと、この「隙間風」は俳句にとって最もふさわしい季語といっていい。もっとも季語は、和歌の雅を引き寄せるための手だてのひとつであるといえなくもないので断定することはできない。
 〈古家屋〉の句は、作者が蛇笏・八束の大河の中にあって、動ぎない独自性をもっていることを考え合せて観賞すると面白い。作者の身辺に吹く〈隙間風〉とは、どんな風なのであろうか。〈埋めやうのなき〉と吐露しているところをみると、現今の世情をも含めてのことに違いない。
 俳句に生きる作者の生きざまが、一句の中に深く詠まれていて、〈古家屋〉という大きな重石の負が浮かびあがっている。

臼を碾く古き世の音冬すみれ  南  俊郎 (句集「養花天」)
 日本の芸の全には、形式が厳として有る。その形式を除いては芸といわない。俳句においてもしかりである。五七五という定形・季題・季語を守ること、さらに切字である。これを厳守することが俳句の姿形である。
 〈臼を碾く〉は、この形式を確りと守っている。それでいて、句の内容のひろがりは深い。
 南氏は、蛇笏・龍太を師とし現代俳句の骨法を自分のものに育てあげている。石臼を碾くひびきの重さは、それこそ日本の俗な響きといっていい。そこに生きて、その音を、冬すみれなる人間が聞いているのである。現今の三色すみれ、パンジーの姿ではない。
 私の家の一位の株元の冬すみれはもう盛りをすぎて、花は褪せ、葉叢だけが、早春の風に揺れている。冬すみれには、たしかに、石臼を碾く、あの音がふさわしい。いい得て妙といえる秀品である。

銀漢や地に張り付いてもの思ふ  川村 幸子 (句集「母の手絡」)
 川村幸子氏は、石原八束先生の俳句教室で俳句を学び、「秋」に入会、同人となって、「秋」一筋に精進している。だから、俳句に迷いがない。句集を拝見してその心意気が窺えてたのもしい。
 〈銀漢や〉は句集の最後の頁を飾る秀品である。川村氏は七十台に入った実人生の経験者である。俳句は人生の経験者の詞芸であると、師八束は言っている。やはり、省略の詞芸には、大いなる経験が必要である。川村氏は、この句の中で〈地に張りついて〉と自からの姿勢を表白している。〈もの思ふ〉ことを、地と結びつけること、これはやはり人生を経験した人の、ものの考え方である。しかも〈銀漢〉という天空を眺めてのことである。この確かな地についた歩みこそが、今の私達にはなくてはならないことである。勿論俳句を詠む上でも…。

どんど燃ゆ後ろ九頭龍川の闇  平野 紀美子 (句集「九頭龍の鳰」)
 平野紀美子氏と平野稔代の姉弟による句集「九頭龍の鳰」は、石原八束先生への尊敬の念をしっかりと礎として、九頭龍川の瀬音を胸中山河とした読み応えのある一書である。
 〈どんど燃ゆ〉は、平野俳句代表の一句といっていい。しっかりと、自分の風土を踏まえて俳句を詠んでいる。どんど焼きは、今も各地に残っている正月行事のひとつである。
 その、どんどの火が燃えさかる後には、九頭龍川の大いなる流れがある。その流れにはどんどの赤さが映っている。その赤さゆえに、闇の深さが一層厚くかぶさってくるのである。あるいは、その闇は、現在の九頭龍川流域に生活している人達の思いものしかかっているのかも知れない。ただ、この九頭龍川の闇からは明るい光が放たれる刻が来るように思えてならない。それは、平野紀美子氏の生き様の明るさからかも知れない。

天体のひとつに載つて日向ぼこ  樟 豊 (「秋」三月号)
 樟氏の俳句から得るものは沢山ある。樟氏は俳句の中に、独自の思いを存分詠い込んでいる。己れを通すその詠い方にこそ、〈俳句は己れの生きざま〉ということを教示してくれているように思えてならない。
 樟氏は、今、健康を害している。しかし、俳句が大きな支えになっていることも事実である。
 〈天体のひとつに〉の句、なんともおおらかな句ではないか。この思いは誰れにもそうありたいという願いがある。日向ぼこという思いは、〈天体のひとつに載つて〉という心意気なのかも知れない。これ程、大きな想念を俳句の中に持ち込むことのできるのは、樟氏をおいて他にないかも知れない。
 師・八束は、季語の二重性を強調していたけれども、樟氏の〈日向ぼこ〉は、多重性としての役割を果たしている。

焼芋を包む新聞の政治面  高橋 宏子 (「瀚海」31号)
 高橋氏の俳句は、常に生活と密着したところを詠っている。だから、誰も解る句である。俳句という十七文字の詞芸のあやうさはこの短い型に負うところが大きい。それは、殆んどの人が、短かさの中に背負いきれない想いを荷せよとするからである。そのことは否定はしないが、やはり、自分の守備範囲の句を詠むことが重要である。
 〈焼芋を包む〉の句、時事俳句である。しかし難しいことは何も言っていない。作者は焼芋で温まった新聞のありがたさをまず言いたかったに違いない。皺になった温かい新聞を開いて芋を取りだそうとした時、政治面であることに気付いたに相違ない。そこに書かれている記事の中味は、焼芋のぬくもりのいかほども感じられない。そんなことを思いながら、作者は一句を得ているのである。俳句の道の一筋である。

故旧呼ぶ大白鳥の嗄れ声  老川 敏彦 (「昴」第7号)
 老川主宰の俳句に対する時は、時に正座をしなければならない。師八束の俳句感を全身で受けとめ、その中から自分にかなったものを選び抜いての俳句詠法であるからである。
 主宰は、〈「昴」再出発にあたって〉の中で、師八束の「生命の詩」をふまえて〈蓋し俳句は人生最高の遊びである。〉と言い放っている。また〈自由無碍の境地に遊戯する喜びを味会すること〉と言う。
 〈故旧呼ぶ〉の〈嗄れ声〉には正に、老川主宰の 〈自由無碍の境地に遊ぶ喜び〉の声が詠まれているといっていい。主宰は今、病気と闘っておられる。その中にあって、このような白鳥の声を詠うことに大きさを感じないわけにはいかない。物事を切実に詠うこと、これは師八束の俳句感でもある。老川主宰は、これを、俳句は切実に遊戯することであるといって俳句に精進しているのである。


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主幹句集  昴 8号 平成20年春号(通巻27号)
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
水 温 む  早瀬 秋彦

病み抜けて生くべし蜆呟けり

予後の歩に力込めゆく木の芽晴れ

身を責むる悔いの歳月鳥雲に

裏返る記憶の闇に亀鳴けり

剪定や忽と欠けゆく知己はらから

春泥にまみれし予後の歩みかな

駄菓子屋の玻璃窓明り水温む

鶯や杣の朝餉の汁熱し

陽炎や明神下に江戸の影

風鳴りの祈願の絵馬や梅香る


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諸家近詠  道官佳郎 抄出  昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
諸家近詠  (順不同)  道官佳郎 抄出

木枯しが知る南溟の一つ星  小澤 克己(遠  嶺)
竹の春くちびる赤し寝釈迦かな  高岡すみ子(さいかち)
地上絵を統べる位置までいかのぼり  能村 研三(沖)
初声は天より水はかなたより  落合 水尾(浮  野)
もののふの汝もひとりや寒椿  角川 春樹(河)
流れゆく水の如くに年暮るる  大井戸 辿(欅)
初霞見えざるものは見ずにおく  大串  章(百  鳥)
去年今年無言のままにすれちがふ  鷹羽 狩行(狩)
もう春よ春よと花束の届き  木内 怜子(海  原)
これ以上枯れきれず立つ破芭蕉  舘岡 沙緻(花  暦)
業今も炎尽きざる除夜の鐘  石井  保(保)
冬の灯へ一書遥かな夢誘ふ  仁科 文男(白  炎)
みづからの目覚め促す初御空  雨宮 抱星(草  林)
来し方の火種の揺れてどんどの火  久保 保徳(草  炎)
明暗を分けて冬木の夜明かな  青柳志解樹(山  暦)
住みづらき浮世に生きて野菊の美  保坂加津夫(いろり)
石庭の石大寒に入りにけり  倉田 紘文(蕗)
そのままに冬のどんぐり地へ還す  星野麥丘人(鶴)
島よりの郵袋ひとつ松過ぎぬ  原田 青児(みちのく)
御由緒を余さず読めり初詣  仁尾 正文(白魚火)
主の前へ真直ぐに伸び霜の道  今瀬 剛一(対  岸)
寒菊を切り海光を引きにけり  中村 石秋(其  桃)
南畦の枯れ字深めし園の枯れ  河野  薫(あざみ)
早梅や音して風は家めぐり  村田  脩(萩)
老いぬれど枯れ急ぐもの無き暮し  小川 恭生(鵙)
萍を離るる水輪見張鴨  斎藤 夏風(屋  根)
賓頭盧のおん目失せたる寒さかな  鈴木 貞雄(若  葉)
父母亡くて天心に置く後の月  藤木 倶子(たかんな)
風花や蹌踉の歩の追ひ越され  澤田 緑生(鯱)
雪掻の挿し立てしより時間見ゆ  中戸川朝人(方  円)
混沌の世へと逃げ来て松の蝿  井上 論夫(加里場)
数珠玉を干して上総は水の国  鈴木 太郎(雲  取)
湯豆腐の中の青菜や嵯峨泊り  鈴木 鷹夫(門)
縄文の遺跡に犬と初走り  柴崎左田男(紫陽花)
わがための厨に生きて寒蜆  志摩 知子(和賀江)
春めくと忘れられない山ありぬ  松澤  昭(四  季)
貘枕雨の匂ひのしてならぬ  松澤 雅世(四  季)
江戸つ子のざつくばらんや雁帰る  鈴木 勘之(南  天)
翅はしろがね脚はくろがね冬の蝿  高野ムツオ(小熊座)
冬座敷一休の輿でんと据ゑ  山口超心鬼(鉾)
愚直もて守る一誌や冬紅葉  松本津木雄(阿  吽)
冬ざれや無縁仏に石積まれ  永方 裕子(梛)
石像の怒髪に止まる月しづく  小泉八重子(季  流)
春蘭の踏まれてありぬけもの径  野崎ゆり香(堅香子)
平らかな世過ぎもまれに雪中花  三田きえ子(萌)
春を待つ水輪の芯に番鳥  加藤 耕子(耕)
澄む水を澄むまま落す水車かな  松尾 隆信(松の花)
いま山を出でし日を浴ぶ鷹一羽  増成 栗人(鴻)
亡き父は大福が好き冬ぬくし  稲田 眸子(少  年)
枯野来て枯野に同化してゐたり  塩川 雄三(築  港)
福耳を褒められてゐるマスクかな  山崎ひさを(青  山)
初波に巌頭マリア鳥翔たす  波戸岡 旭(天  項)
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昴題詠  陽炎、 菫   昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
昴題詠  陽炎、 菫    早瀬 秋彦 選

森田 幸子
老いてゆく余白も罪か濃かげろふ
すみれ草作務衣の藍の匂ひけり
かげろふやたましひ揺れてしまひたり

篠田 重好
日の差して元気にひらく冬菫
うづくまる山羊の鼻面菫咲く
かげろひの笑ひて母の顔となる

小林 量子
こゑ上げて泣きし遠き日陽炎へる
すみれ草大きな玻璃戸開け放ち
花すみれ金の紐とく誕生日

伊藤美沙子
陽炎や見えゐて遠き子の新居
すみれ咲く樹間にあをむ越の海
冬すみれ柱状節理の際に咲く

西村 友男
漱石の墓に一輪花すみれ
陽炎を曳き来る嬰の初歩き
身を修む訓あまたや陽炎へり

道官 佳郎
陽炎や醤ひしほ香もるる佐渡の蔵
隠れ耶蘇継ぎきし島のかげろへり
弥撒にゆく少女のヴェール菫草

長沼ひろ志
かげろふや婚の荷に足す手紙束
陽炎を突つ切つて来る託言かな
札所への径に憩ふやすみれ草

岡田 律夫
バイロンの影ひく城やかげろへる
陽炎や宇治橋わたる修行僧
花菫のこし父祖の地去りにけり

仁木 孝子
すみれ咲く児童五人の分教場
黒塚や鬼の岩屋の濃陽炎
かげろへる間あひ狂言の太郎冠者

岸本 正子
白菫の光りや従軍看護婦碑
陽炎や曖昧と言ふ世の逃げ処
菫濃し胸内に湧ける校歌かな

神戸 和子
野生馬の草食む丘やかげろひぬ
押し花のすみれの色や友の文
空襲に怯えし壕のすみれ草

吉田美智子
陽炎や夭折の友野に踊る
押し花のパンジーこぼる母の文
遠く病む友の声音や花すみれ

谷口 秀子
陽炎や一輪電車ゆれて来る
陽炎や噂さらりと聞き流す
若くして逝きし父の忌菫咲く

福冨 清子
兄たどる黄泉路に菫草もがな
男の子らの征きし鉄路やかげろへる
わが目路に鬼呵わらひをりかげろへり

森 万由子
陽炎や芥漂ふ船溜り
メルヘンの乏しき浮世かげろへり
すみれ野に響く鐘の音トラピスト

齊藤 良子
陽炎の彼方父母顕たつ十日かな
花菫風に舞ひ居り地獄谷

梨 豊子
すみれ草旧知の如し触れてみる
陽炎にかどはかされし身の不覚

久 篤子
かぎろへる天国の道思ふかな
苦しみの数だけ優しすみれ花

小林貴美子
参道につづく学舎陽炎へり
林檎の花に触れゐる父の肩車

松 守信
すみれ草馬の嘶く草千里
昇天のうからはらから陽炎へる
相澤 秀司
かげろいて静止画となるハイウェイ
千年の椨の木の蔭すみれ咲く

土田 京子
陽炎やちちはは無くて家残る
勝公妻子の墓や冬すみれ

齊藤眞理子
俯けど強さ秘めをりすみれ草
秩父なる巡礼古道かげろへる

渡邊 二郎
陽炎や我が身一片箍ゆるむ
俺の匂ひ待つ家ありて菫咲く

鈴木八重子
花菫童女のやうな友の笑み
陽炎や心の歪ひづみ見せまじく

藤原 香人
バス二台かげろいてをり石舞台
取り去りしふらここの跡赤くさび

久保田シズヲ
陽炎を震はせて鳴る警報器
現世の余白に生きて陽炎へり

佐々木久子
訪めゆかんブッセの空やかげろへる
甦る越路吹雪や菫咲く

星  道夫
花菫まじなひかけて水を遣やる
抱いてゐる猫逃げたがる菫の野

會澤 榮子
幾山河母と越え来しすみれ草
年金や昭和のどこか陽炎へり

今井千穂子
母に読みし 「スヌー物語」 かぎろひぬ
濃紫の菫の一輪黒薩摩

木島 幸子
すみれ咲く真澄の空や都井岬
賊軍となりし墓群かげろへる

橋 みえ
山道のひと息入れし菫かな
陽炎の遠き野に来て怯えゐる

伊沢トミ子
陽炎の中に消えゆくギター引き
菫咲く鳳莱山寺の羅漢たち

堀越 寿穂
美辞麗句並べ立てをり花菫
陽炎や母子の影の消えゆけり

篠崎 啓子
婚五十年事の数多や陽炎へる
菫苗店に溢れて頬緩む

石井 深也
老いてなほ夢を追ひをり野のすみれ
陽炎におのれの老いを見てゐたり

平野 欣治
陽炎へる子の六十年や夢の夢
菫咲く眞白き冨士を天上に

國分 利江
エンゼルの息のかヽりし冬すみれ
みちのくの泣虫こけし冬すみれ

西田 綾子
信濃路の山ふところや白すみれ
陽炎や馬頭観音辻にあり

本田ハズエ
長コースただ陽炎を突走る
花菫たつた一輪墓地に咲く

原  繁子
病みぬけし黄泉路の兄や菫草
陽炎や甲斐駒ヶ岳へ向け柩発つ

鈴木 昌子
虚子一族の墓域一輪野路すみれ
陽炎や子は機と共に飛び去りぬ

大竹  仁
試歩の道妻陽炎の中に佇つ
花菫縄文後期は海の底

藤沢 正幸
陽炎をくぐる隅田の十二橋
橋一つ渡りし畦の菫かな

内藤 宗之
追憶の中に咲きたる菫かな
かげろふや観音裏の万太郎碑

小山けさ子
丸髷の母の写真よすみれ草
逆境の我にかげろふまとひつく

山口 梅子
一点の染みなきままに白菫
卵つつむ母の姿のかぎろへる

井上  元
すみれ草共に摘みたる妹は亡し
地震ありし海の原発陽炎ひぬ

田中 洋子
香菫  にほひすみれ束ねて母の枕辺に
沼津市になりし戸田 へ だ 村陽炎へる

木島サイ子
かの径に会ひたき人や陽炎へる
花菫高畑颪に吹かれをり

又木 順子
軋み来る一両電車かげろひぬ
岩を裂くいのちひそめて菫咲く

小能見敦子
村宮に父祖の名のあり菫咲く
陽炎の川土手巡る一と日かな

山地 定子
煙草吸ふ卆寿の夫の陽炎へり
走り根に身をひそめをり花すみれ

北島美年子
ひとり身を通せし女や冬すみれ
かげろふやパンダのバスがゆつくりと

中島 勝郎
生き様をすみれの如くおくりたし
かげろふの中に溶けゆく轍かな
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新句集紹介  昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
新句集紹介  小林 量子


  句集「山暮し」 諸田宏陽子

 大正十五年静岡県生まれ。昭和二十一年より俳句を始め、現在「山暦」同人。「山暮し」は「山村水郭」に続く第二句集である。大井川上流の四季折々の風情と暮らしを詠んだ句が多いことから句集名を「山暮し」と名付けたとあとがきにある。土の香と季節の味わいのあふれた句集は、農村風景や茶摘みの情景、地方の風習の名残も楽しめる心豊かな句集である。
  禁酒して花見の衆の端に居り
  手掴みて捕りし鰍に睨まるる
  売りに出す山に囀り始まれり
  当分は電話で済ます暑さかな
  茶摘女へSL汽笛鳴らしけり
 静岡は気候温暖な、前に海後ろに富士の勇姿という羨ましい風光の地である。この地で生まれ育った作者の土着の句には、人を惹き付ける力がある。
  猫の目が屋根に光りて星月夜
  劣等感などは無いぞと羽抜鶏
  相続を拒否されし山笑ひけり
 一句目は印象鮮明で透明感にも魅力がある。二句目三句目の俳諧味にも惹かれた。自然の中での素朴な生活の結晶であり、作者の揺るぎない魂から生まれた珠玉の句集である。
  静岡県在住。俳人協会会員。  〈北溟社刊〉

  句集「土笛」 島 雅子

 一九四〇年神戸市生まれ。一九九三年「みちのく」入会を経て「門」入会。現在「門」同人。「土笛」は第一句集である。句集名は「雪の日のこの土笛のぬくきかな」より。頁を繰り進む程に、つぎつぎと面白い句に出会う。
  今がいま過去となりたりかなかなかな
  個性派と頑固のあひだ榠櫨の実
  水飲んでかたちになってゆく寒さ
  多数派にはならぬ美学や囀れり
  吾のなかのもひとりの奴狸汁
 少し違った視点から醸し出す個性的な句が読者の胸をワクワクさせる。選ばれた言葉一つ一つに作者の並々ならぬ感性がかいま見える。また次の心の内面を抉った数々の句にも惹かれた。
  うすらひと水との間こころ置く
  だしぬけの涙や水母裏かへり
  無名なるしあはせもあり梅真白
 最後に、主宰の鈴木鷹夫氏の序文の最初に取り上げられた、妖しさと魅惑を秘めた句をあげる。
  薔薇の湯に身をまかせをり遺体めき
  相模原市在住。俳人協会会員。音楽教室主宰。
〈角川書店刊〉

  句集「初冬」 鹿野佳子

 昭和九年生まれ。昭和五五年「朝」入会。平成一八年「琉」入会。現在「朝」同人。「初冬」は「花束」に続く第二句集である。柔らかな言葉が醸し出す句には、読む者の心を優しく包む。
  葭切やはなれ住むとは想ふこと
  ゆっくりともの言ふ人と秋惜しむ
  塗椀の照りほのかなる時雨かな
  柿の花ほたりと山気ゆるみけり
  鈴虫の鈴ひと振りを待つ夜かな
 作者の詩心に柔らかに包まれ心地よい。作品の一つ一つの詩情は、作者の生きてきた日々の耀きとして投影されている。心の内面を詠った句にも、しなやかな心情が表出されている。
  見つめゐるこころの波紋水すまし
  咳の子を咳ごとあつく抱きけり
  好き嫌い激しく生きて水仙花
 あとがきに「小春日和」には「晩年」の意味もあり、静かな晩年を望む気持ちで句集名を選んだ、と記されている。読み終えて、すぐ第三句集を待つ気持ちになった。
  横浜市在住。俳人協会会員。 〈角川書店刊〉

  句集「有頂天」 多々良敬子

 昭和十三年東京都生まれ。昭和五十七年より俳句を始め、昭和五十八年「さいかち俳句会」入会。現在「さいかち」同人。平成十五年さいかち賞受賞。「有頂天」は第一句集である。有頂天は仏教用語だが、舞い上がって自分を見失わないように、地に足を着けて人生を送る、という趣意だと、あとがきにある。
  少しづつ緩む身の内薄氷
  有頂天より垂直に声冷まじや
  この枯木千手観音かもしれず
  ほうたるや眼凝らせば火の記憶
  落日や火の粉のやうに小鳥くる
  噴水の噴かねば景の定まらず
 単なる写生に終わらない句の数々。作者の広い教養と人生経験が滲み出る。事柄と季語の配合の巧みさ、その底に流れる人となり、それらが結晶した句が心に響く。文学や歴史への造詣も句の端々に読み取ることが出来る。最後に、明日香を詠まれたと思われる句を抜き、終わりとする。
  みささぎへ帰化す背高泡立草
  石棺の中は緋の色小鳥来る
  東京都在住。俳人協会会員。 〈梅里書房刊〉

  句集「梅日和」 春川園子

 昭和十三年東京生まれ。平成六年「海嶺」入会。「海嶺」終刊後、平成十二年「花暦」入会。現在「花暦」同人。「梅日和」は〈末の娘の婚の黒髪梅日和〉より。第一句集である。身辺を詠んだ句には、女性特有の柔らかな情愛が溢れていて共感を呼ぶ。
  嬰の手の届かぬやうに初雛
  娘は今も母に厳しき夏大根
  病みて知る夫の情けや草の花
  病名を知らされ寒を耐へゐたり
  さくらんぼ含み卒寿の母とをり
 特に、句集名となった梅日和の句は、清々しく明るい光と初々しさに溢れている。また、大景を詠み込んだ句の伸びやかさにも惹かれた。
  帆船の動くともなく冬はじめ
  鉄塔に人働けり山の秋
  山畑に農夫ひとりや大根引く
  川崎市在住。俳人協会会員。〈ふらんす堂刊〉

  句集「白玉椿」 熊倉愛子

 大正九年東京生まれ。昭和五十五年「春嶺」入会。平成五年「海嶺」創刊入会。平成十年「花暦」創刊同人。現在「花暦」同人会長。「白玉椿」は第一句集である。
 視野が狭まり、視力が衰えてからの選句作業は、如何に大変であったか想像するだけで畏敬の念で一杯になる。
  編み返す夫のセーター身幅つめ
  癒ゆるあてなきを看護りて暮の秋
  朱を入れし己が戒名うそ寒し
  大榾の形くづれず燠となる
  真二つは倅まかせの大西瓜
 初期の句を思いきって削られたという珠玉の句集は、取り上げなかった句に心が残る。ご主人が亡くなられてから、堰を切ったように旅をされたという旅の佳品を取り上げたい。
  緑蔭に媼綿打つ西安路
  出羽訛厳かにして薪能
  立冬を冬なき国の旅にあり
 最後に、一番心を惹かれた句
  家も吾も白玉椿と共に老ゆ
  群馬県在住。俳人協会会員。 〈角川書店刊〉

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リレー俳談  昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
リレー俳談

イチローの至言  渡辺 二郎

 本年一月二日夜九時NHK制作の「プロフェッショナル仕事の流儀「イチロースペシャル」が放映され、イチローの名で親しまれている鈴木一朗さんのメジャー入りから七年の生態が画面一杯に映し出された。
 イチロー、奥さん、愛犬一匹、特に際立った生活様式でもなく一般の人と何等変るところは見られなかった。ところがである。キッチンの一台の冷蔵庫をあけて見せた時その内容に驚いた。深底の鍋が何段にも入っているだけで他には何もないのである。そしてその中味は奥さん手造りのカレーであった。
 イチローはそのカレーを毎日決まった時間に規則正しく朝昼兼用の食事として食べ続けているのである。この生活のリズムが今迄の成績につながっているというのである。そしてそのカレーの絶対性と言える不変的な味を維持する奥さんの心遣いと努力に感服させられた。イチローは「私の仕事より家内のこのカレーを作ることの方が大変だと思います」と言っていたことが妻に対する大きな愛情をうかがわせていた。イチローはこんなことも話していた。「重圧が来たら俺は逃げない、もがいて苦しんでいると光が見えてくる。何時か見えると思って何もしなければ一生光は見えない」「同じ処でずっと見ているよりも一寸離れてみたら景色は変るんじゃないか」
 一流中の一流になっても常に抱いている努力と向上心のあり方に教えられるものを感じた。私は日頃から壁に突き当って試行錯誤の繰返しをしているが、イチローの言葉は全く作句に当っても同じことと言えるのではないだろうか。どんな変化球でも片端しから打ちこんでゆくプロフェッショナルな度胸と卓越した技量は、七年間も同じカレーをたべ規則正しい生活をおくり、そして球場へ足を運んでくるファンを喜ばせることに懸命な姿は、やろうと思っても一朝一夕に出来ることではないことを充分納得させられた。ということは更めてイチローの言葉は作句する上において我々に通用するし忘れてはいけないことだと思うのである。
 結びとしてイチローは、今年は八年目、連続二〇〇本安打が目標と報じていた。



江戸の町  小林 貴美子

  陽炎や明神下に江戸の影

 三月の句会で頂いた、老川先生のお句です。陽炎の向うに江戸の町が見えてくる思いに暫しひたりました。私が国民学校二年生の頃に味わった、別世界の感覚を思い出したのです。明神下と言えば、神田明神の後の町。私は神田小川町の近所の友達数名と遊びに出かけ、明神様へ参拝し境内を巡り本殿の後方へまわりました。するとそこには思いがけない青空が広がり、目の前に何もなかったのです。そこの際まで行き、下を見下すと、瓦屋根が黒々と静まる町並がありました。左の方に下へ向う細い石段があり、私たちは誘われるように下りて行きました。長い石段を降り立った所は、神田には珍しく静かな町が軒を列ね、閉った格子戸の前を歩いて行くほどに、神隠しに会うような不安な気持にかられ、今来た道を一目散に走り、石段を見つけて登りました。息がきれそうだったのを覚えています。その町が、野村胡堂が「銭形平次捕物控」に書いている江戸の町だったのか。神田台所町。「親分、大変ッ」日本一の浅黄空、江戸の町々はようやく活気づいて、晴れがましい初日の光の中に動きだしたとき、八五郎はあわてふためいて、明神下の平次の家へ飛び込んできたのです。―銭形平次のプロローグ―
 神田明神の銭形平次の碑の隣りに、「国学発祥之地」今東光撰文と記された碑があります。江戸中期に、東光と芝崎神主による国学の教堂がこの地にあり、賀茂真淵、本居宣長等国学者を輩出し、今日の国学の基をなしたとか。明神様から天神様へ、この辺りは俳句にもよく詠まれますが、神田明神の横の道を辿って行くと湯島の天神様。その途すがら湯島三丁目を訪ねれば、私たちの俳誌「昴」の発行所があるのだと思います。「昴」は私たちの教室。老川主宰のお書きになられた「人生派としての自覚」を改めて読みました。先生の主意を理解し、精進をつづけて行きたいと思います。
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光芒抄  昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
光芒抄  早瀬 秋彦 抽出

薄目せる千仏千手冴え返る  大島 道夫
ミルクティ口すぼめ吹く鳥雲に  星  道夫
気配りの母の人生鳥雲に  曾澤 榮子
悴みて老々介護一途なる  石塚恵美子
白魚や連弾の手のきらめける  佐々木久子
城下町にありし青春梅香る  早瀬 安女
冬霞朝霞に陸上自衛隊  柴田千鶴子
喪中はがきの返信を書く年の暮  川崎 忠康
鮟鱇の「叫び」のごとく口開く  木島サイ子
猪八重瀧紅葉に映えて轟ける  水元 榮子
余生なほ追はるる思ひ去年今年  又木 順子
すつぴんの富士の全容鰯雲  本田ハズエ
冬木立明日に託せしいのちとも  藤原 淑子
浄土への旅は片道梅真白  原  里歌
成人式の娘の香華やぐ美容室  島田ミネ子
春光の中へ飛び出す下校の児  立川 明朗
健やかな夫との生活聖夜来る  樋口 栄子
国後は指呼の中なり雪しまく  内藤 宗之
ビロードの足袋繕ひし昭和の日  山地 定子
降る雪や更地となりし父母の家  北島美年子
土匂ふもんぺに着替へ鍬始  小能見敦子
耳うちの子の息温し春隣  藤沢 正幸
ひなまつりよくぞこれまで健やかに  中島 勝郎
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光芒集  昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
光芒集  早瀬 秋彦 選 

冴え返る  大島 道雄
斑鳩に積りし時やお身拭ふ
遠き日の風韻香る雑煮椀
大寒の古木切られて匂ひたる
神護寺や厄投げ入るる冬の谷
薄目せる千仏千手冴え返る
裏露地に淡雪降れり高瀬川
閼伽の井の水温みゆく御室かな

鳥雲に入る  星 道夫
鳥雲に地下三階のサウナ風呂
目深にす別れの帽子鳥雲に
折合はぬ話を返し鳥雲に
遠のいてゆくことばかり鳥雲に
鳥雲に逢ふも別れも駅に来て
鳥雲に隧道明りつきしまま
ミルクティ口すぼめ吹く鳥雲に

鳥 雲 に  會澤 榮子
納棺や冷えゆく母の頬に触れ
気配りの母の人生鳥雲に
残さるる向かひの小田や鳥雲に
スコップの三掻きに足りる春の雪
茅葺の亡は母はの生家や春浅し
校垣をはみだしてゐる蕗の薹
早起きの宿に眩しき春の湖

冬に入る  石塚 惠美子
世に生くる迷ひさまざま木の葉髪
南禅寺湯豆腐鍋も三世代
息白く代々木の杜を抜け来たる
霧島や庭先に来る鹿の群
高千穂の峰の残照冬に入る
悴みて老々介護一途なる
エジンバラ城の水仙雨上る

天 狼 星  佐々木 久子
韃靼の血潮の叫び天狼星
青星に大和魂見えかくれ
韃靼の裔天狼に雄叫びす
白魚や連弾の手のきらめける
調和なき五感のさびや春寒し
急きゆくや母を看取りに雪二尺
大焼野三月八日の夜空なる

梅 香 る  早瀬 安女
健康に気遣ひてをり寒卵
城下町にありし青春梅香る
生き下手の友と語りし新茶かな
春燈や夫の好みのメンチカツ
生くる意味問ひし青年春燈下
腰痛に悩む弟春の雪
解らざるピカソの絵画春の雲

原宿句会  柴田 千鶴子
捻挫ぐせ出し極月の松葉杖
冬霞朝霞に陸上自衛隊
乳呑み児の乳呑む刻や実千両
白魚の黒目みつめし子のひとみ
春浅きシロガネーゼとチョコレート
ベルギーの空の群青烏貝
蝌蚪の群いまはなごみのひとときと

去年今年  川 忠康
湯豆腐は予後の生き甲斐しみじみと
時雨るるや乗客二人の過疎列車
喪中はがきの返信を書く年の暮
生きてゐる証し確かめ初散歩
潮の香を五臓六腑に初句会
温暖化といふに厳しき余寒かな
若水や光太郎の詩を大書する

春 の 磯  木島 サイ子
立春の汀縞なす水尾あかり
「華の歌」悴む手話で伝へたる
呼びかける声吸はれけり春の磯
花蜂の黄まみれにして動けざる
鮟鱇の「叫び」のごとく口開く
頼らぬと決めて頼りし牛いの膝こづち
手にしたる小瓶ゆかしき梅酒の香

紅   葉  水元 榮子
助け合ひ老いゆく日々や秋深し
湯豆腐をすくひひと日を語り合ふ
猪八重瀧紅葉に映えて轟ける
山径の翳りに赤き冬苺
拾ひ来しさくら紅葉を押し花に
校庭を駆けし追憶冬木立
新嫁を里に迎へし年賀かな

去年今年  又木 順子
誰彼の古稀となりゆく秋惜しむ
紺青の彼方の故郷海は秋
余生なほ追はるる思ひ去年今年
湯豆腐やほどほどに足るわが生活
澄み渡る生活の音や冬晴るる
衣食足る世に悴みてもの思ふ
燃ゆるいのちひそめてをりぬ冬木立

河 鹿 笛  本田 ハズエ
人声の増え行く日々や梅三分
渓流を風渡りゆく河鹿笛
減量を果たせずにをり更衣
語り合ふ師との思ひ出秋深し
すつぴんの富士の全容鰯雲
器量良き宿の女将や秋袷
出来ばえは手慣れし夫の注連飾り

冬 木 立  藤原 淑子
冬木立明日に託せしいのちとも
先頭の君が代唱歌大旦
寒雀弾みて集ふ二階かな
冬茜切絵のごとき木々の影
湯豆腐に和みてゐたる二人かな
夭折の甥のかんばせ帰り花
手の甲の皺見つめをり秋深し

さみだれ  原 里歌
石佛のまどろむ里や油照り
古里の灯り優しき弥生かな
浄土への旅は片道梅真白
取れさうで手には届かぬ春の星
鯉のぼり雨に溺れてをりにけり
約束を忘れし友やさみだるる
風薫る日向の洋の青さかな

成 人 式  島田 ミネ子
麻痺の手をにぎる友あり冬木立
冬麗の海原青き日向灘
しびれゆく酔ひと歌あり年忘れ
成人式の娘の香華やぐ美容室
手つむぎの布地に和みぬ秋袷
言葉なき病ひの友や秋の暮
日もすがら草食む野生馬天高し

春   光  立川 明朗
返り花往きも帰りも坂の道
縁側に昼の陽のさし花八手
冬の月鉄骨黒く建ちてあり
友よりの旅の誘ひも年の暮
星空へ梢広げる冬欅
路地抜けし風の砂浜黄水仙
春光の中へ飛び出す下校の児

聖   夜  樋口 栄子
健やかな夫との生活聖夜来る
冬帽子かねやすで待つ人の影
なほざりの日日の悔恨初明り
七草の粥炊かしぎをり母偲び
白壁に映ゆる日射しや寒椿
踏まれても生くる思ひや蕗の薹
鶯の声のゆくへを探しをり

つるし雛  内藤 宗之
国後は指呼の中なり雪しまく
寒林の一本道や星光る
寒晴れや釣師の背の丸くなり
初午やビル屋上の朱の鳥居
半纏の二月礼者や鳶頭
飛び立ちし羽のしぶきや水温む
ゆうらりと寄せくる波やつるし雛

昭和の日  山地 定子
記念樹に振りかへり行く卒園児
割り切れぬ事のみ多し朧月
どこまでも一途を通す猫の恋
ビロードの足袋繕ひし昭和の日
行商の背負子に残る春の雪
寒ぼたん藁を透きくる日差しかな
おのが身を問ひつめてゐし春疾風

雪  北島 美年子
街道の石州瓦しぐれくる
銀山の六百の間歩しぐれけり
冬晴や河原に仰ぐ錦帯橋
聖夜祭ミラーの中の冬の月
くつきりと眉を描きて初仕事
降る雪や更地となりし父母の家
東京の雪載せてゆく列車かな

鍬   始  小能見 敦子
土匂ふもんぺに着替へ鍬始
笹子鳴く羽音のかたに耳立つる
春近し白寿へと母誕生日
在りし日の夫の笑顔や冬薔薇
悴みて弔辞を読める友の声
春風邪にうかと寝つくや粥炊く子
下萌の土手を日課のウォーキング

落   椿  藤沢 正幸
冬木立夕日に映ゆる遠筑波
耳うちの子の息温し春隣
落椿肚が据つてゐたりけり
春浅し肩で分け入る「ゆ」の暖簾
近道の思はぬ暗さ梅匂ふ
恋の絵馬紛れてをりぬ梅の宮
桜の芽西高東低ゆるみ出す

ひなまつり  中島 勝郎
氷上で舞ふは乙女の五体かな
うえのやま菰を抜けをり冬牡丹
自堕落に横になりしや初寝覚
小雪舞ふ鬼怒のほとりの温 いで 泉ゆかな
天神に駆け込み祈願涅槃西風
ひなまつりよくぞこれまで健やかに
生業を離れし作句春の宵
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天啓と臨場表現 昴8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
天啓と臨場表現  早瀬 秋彦

 古来から名句と言われている作品は数多くあるが、じっくり味わってみるとかなり絞られてくるように思われる。即ち筆者の観点からすれば、表現が極めて単純化されていて、饒舌に流れることなく、イメージが鮮明なものに限られてくる。
 たとえば、

 金剛の露ひとつぶや石の上  川端 茅舎

という作品にしても、状景描写は極めて明快である。眼前の石の上に露がひとつぶだけ置かれていて、それが光り輝いているというのである。それ以外この一句は何も表現していない。それでいて、静まり返った朝の寺領の一角のような雰囲気が現前してくる。それは「金剛」という、おそらく作者が長時間呻吟した後に生み出したであろう仏教用語の重みから来ている。しかも露という極めて儚い存在に盤石の貫禄を与えているのである。

 駒ヶ嶽凍てて巌を落としけり  前田 普羅

 極寒の甲州の山岳地帯の厳しい様相がくっきりと見えてくるような作品である。作者は山麓の御堂に夜通しこもってこの一句を得たとのことである。読む者の眼前に、その凍てついた巌が轟音と共に迫る思いがする。この迫真の描写力はやはり臨場体験なしでは生まれて来ない。「落とし」は擬人法であり、山そのものが大きな人格のようにも思われる。そして一切の形容詞を省き、名詞と動詞だけで表現している。これが饒舌を逃れる手段ともなっている。筆者年来の秀句に対する考え方は、季語に語らせるということと、形容詞を極力省くということである。普羅作はまさにそれと同様の志向を実践し得ているから、名句と言い得るのではあるまいか。

 闇ふかき天に流燈のぼりゆくり  石原 八束

 茨城県太子にての作であり、筆者もこの夜の流燈会には参列していたから、この作品の情況がくっきりと今でも脳裡に甦る思いがする。普遍性からすれば別に茨城に限ったことはなく、深い夜闇に次々と消えてゆく無数の流燈が、恰かも天へのぼってゆくように思われたというのである。このような情景は筆者が生まれ育った地の利根川中流における流燈会の際にも見られた。亡き魂をとむらう燈の一つ一つが、その名を呼ぶかのように揺れ動き、深い闇の中へ次第に消えてゆく様は哀切の思いを誘う。情緒豊かな一句である。
 以上代表的な三句を挙げて所信を述べたのであるが、このほかにも名句と言われる作品や、作家の名前は数多く浮かんでくる。そして、その一つ一つに作者の眼力というか、対象を執拗に凝視する情熱のようなものが感じられる。それが時代を超えた不易のイメージを読む側に呈示する。天の啓示を得ての表現の妙は、決して安易には生まれ得ないものである。
(ウエップ俳句通信41号より転載)
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星雲集 昴8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
星雲集  早瀬秋彦 選

輪廻流転  岡田 律夫
豆打つや輪廻流転のはじまれり
胸中の破邪顕正や豆を撒く
亡き人を追ひ行くごとく枯野ゆく
仮臥しの仮死の白鳥よみがへれ
渡良瀬に溢るるひかり蕗の薹
師を恋ふや鷺坂翳る春時雨
奥津城の初音にしのぶ桂昌院

外郎売りの科白  木内 宗雄
綿虫や馬庭念流荒仕込み
枇杷咲くや上がり框に女下駄
使ひ場の水のきらめく冬霞
つぶやくも応ふもひとり息白し
餌に馴れし白鳥の胸汚れをり
読初に外郎売りの科白かな
初刷に染太郎をり大神楽

春   隣  米山 光郎
畦を焼く百姓ことば使ひ慣れ
涸れ川をひからすだけの鎌を研ぐ
つまづいてゐる鳥もゐて川涸るる
ひらがなで語るはなしや春隣
野を焼いて貧乏性の背を伸ばす
薄氷を割つて朝刊届きたる
白壁に鳶の影濃き龍太の忌

霧 氷 林  伊藤 美沙子
瑠璃懸巣翔つ翳あをき霧氷林
浚渫船花のあはひを動かざる
後智恵のほぞ噛みてをり蚯蚓鳴く
河豚ちりや引込思案のそら笑ひ
雁渡し仁右衛門島の手漕船
追ひつめし綿虫は手に毀れをり
火のごとき絵師の瞳のいろ寒牡丹

余   生  仁木 孝子
鶺鴒に急かされてゐる余生とも
烏瓜ひとつ灯りぬ阿弥陀坂
彼岸花ほつほつ馬琴の墓古りぬ
草紅葉湖は太古の色を秘め
懐手して行く末は案じざる
越中八尾の恋は託言や酔芙蓉
美作やとろとろ母のとろろ汁

柵  堀越 寿穂
気が付けば足掬はれしすき間風
柵しがらみを解いて孤独や水澄まし
しがらみに耐へて孤独や春霞
向き合ひしいのちの鼓動初明り
善と悪人間模様年暮るる
鯛焼や肚さぐり合ふ人ばかり
剪定や切れぬ柵ありにけり

天   狼  小林 量子
天狼や渭水を詠ふ遣使の碑
霜柱前後左右に八束の目
唐三彩馬一対の淑気かな
燃えつきしあとの夕雲いかのぼり
砂浴びの鶏の日だまり小正月
天狼や隠岐に祷りの御火葬塚
百物語の九十九番隙間風

冬   苺  小川 時子
稲束に日の当たりをり陰り畑
友逝くや十一月の小石川
元禄の小袖模様や冬椿
プーさんのリボンは赤しクリスマス
巻き紙の母よりの文ふみ一葉忌
激痛の夫を看取りし大旦
子に知恵の着きくる日々や冬苺

薄   氷  齊藤 良子
ぬけられますてふ玉の井の路地寒燈
初旅や俳聖の名の船に乗る
綿の木の綿八方に飛ぶ恵方
薄氷や形身の赤きトウシューズ
薄氷や又も二の足踏んで居り
椅子一つ空く面影や初句会
耳遠く浮世を遠く春の雪

亀 鳴 く  山田 恭子
おがみやの昭和一桁春談義
変る世の障子張ること知らぬなり
わだかまり解けず仕舞ひや亀鳴けり
繰り言を頷いてをり雛かざる
幾つかの恋のカップル新芽吹く
無防備に日々過し来し日傘かな
総持寺の芽吹に翳る墓どころ

ごつた汁  岸本 正子
指物師の木槌のひびく夜長かな
狐火や上目づかひの女達
時雨るるや母の手になるごつた汁
山眠るペン馳す音の響きゐて
風花や認知症棟産科棟
名残り雪真砂女の酒舗の閉ざさるる
初明り新シナリオを開きける

一   月  相澤 秀司
初刷の一面子規と一茶の句
正月の凧避け合ひて絡み合ふ
若布干す陽射し懐し八束句碑
外房や群咲くアロエ風に搖れ
わだつみの風味鯨のたれを噛む
空つ風指輪の光る喫茶店
血圧の上がり下がりや冬日暮る

信   州  久 篤子
信濃路の石仏のもと白菫摘む
下伊那は柚べしアルプス兵の墓
高遠は遠し木の葉のしぐれ道
浅間雪おばすて山はどのあたり
篠ノ井の南姨捨山眠る
姨捨は冠かむり着き山やまよ冬の月
お土産は上田の新酒福無量

蕗 の 薹  森田 幸子
山眠る素焼きの陶の罅深く
冬帽や鬼心野心の目をみはり
暇いとませぬ身ぬちの鬼ぞ寒明くる
大寺の僧の泪目蕗の薹
肩書の要らぬ人生蕗の薹
鶯や一語に癒ゆる思ひあり
絵硝子のイエス・キリスト春日影

蕗 の 薹  梨 豊子
喪帰りの塩撒かれゐて冴え返る
蕗の薹故郷の風の声すなり
クラス会みな老いぼれて山笑ふ
風光る原つぱに子らちりばめて
駱駝のシャツ好む夫と居日脚伸ぶ
蜷の道蜷ふり返ることありや
男の子らのはにかみ顔や雛祭る

冬 銀 河  定松 静子
それぞれの音色のちがふ除夜の鐘
書初の紙にあふるる夢の文字
桃青も蕪村もはるか冬銀河
哀しみは枯葉踏む音に消えゆけり
お手玉は母のぬくもり冬うらら
冬さびし去りゆく人の夢を見し
冬日和子猫のせなに遊ぶ風

水屋書店  土田 京子
村中が鈍色燦と霜柱
水屋書店消ゆ仲見世に冬の月
大寒の背ナで物言ふ夫であり
はだれ雪の瀬戸にて曲り使ひ川
杜氏発つ弥や彦ひ山こに翳る道を踏み
菜の花や老一徹の鍬おろす
逢魔が刻雛のかんばせ白し

冬 帽 子  長沼 ひろ志
職退きてよりの褪せ色冬帽子
冬帽を握りしめゐる訣れかな
息白く口裏しかと合はせをり
日もすがら鑿打つひびき寒椿
冬霞わが晩節にたどりつく
明日を恃むことなき齢寒椿
阿夫利嶺の雲のかがやく初音かな

菜つぱ飯  篠田 重好
強東風の川原に雉子たたら踏む
チューリップ一糸乱れず行進す
菜の花の香にむせびたる母郷かな
遺児五人育てし母の菜つぱ飯
蝶々とオランダ坂をのぼりけり
蝶来ては囃しゆくなり葱坊主
老人の迷子放送花曇

憂 き 世  西村 友男
卓袱台の足たたむ音一葉忌
いろり火の映えて聞きゐる父母の恋
連休を先づ調べをり初暦
水戸様の変らぬ園や初景色
諸行無常の声聞こえをり敗れ蓮
餅を焼く憂き世といへど捨てがたく
崑崙を越ゆるわが影初枕

天   狼  松 守信
天狼の吠ゆる幻妹逝きぬ
みちのくの社宅の暮し笹子鳴く
天焦がす野火渡良瀬の大原野
蒼天の寿福寺詣で実朝忌
刺す風に涙目となり麦を踏む
酒気帯びの二月礼者に居座らる
北国の棚田や畦に蕗の薹

煮   凝  道官 佳郎
甲冑の緒の藍ふかき淑気かな
初刷に万の活字の息吹かな
煮凝や加賀の馴染みの朱塗箸
夕かげの声なき獣舎寒に入る
極月の船笛消ゆる沖の闇
悴みし拳を固め拉致憂ふ
咳の背の波うつ夜の荒ぶ海

初   鏡  神戸 和子
いくばくの命を惜しみすがれ虫
インド舞踊の鈴の音響き秋深む
きつぱりと心明るき障子貼る
額づきしうなじの白さ七五三
湯豆腐や亡つ父まとの月日懐しむ
はらからと炉辺に競ひぬ父の膝
粧はず生きゆく余生初鏡

桜  火野 保子
青空に師の目師のこゑ冬桜
節分草岩間より水走り出す
日脚伸ぶこゑあげさうな沼ひとつ
いちまいの雪に野焼の火が走る
慰霊碑を囲みし木々の芽吹きそむ
冴返る極彩褪せぬ観音堂
ちちははの墓域の桜満開に

蕗 の 薹  森 万由子
若水や今こん日にち只今生きて候
ダム底にひそむ一村山眠る
連凧の昇りつめたる空の碧
ひそみゐる明日への期待蕗の薹
掬ひたる命の重さ白魚網
躾針少し軋みぬ雪催
鶯や追伸一行添へゐたる

イスタンブール  齊藤 眞理子
のうぜんやイスタンブールの裏通り
ボスフォラス海峡渡る爽やかに
いちじくの熟るる遥けきトロイの地
白南風にスパイス香るガラタ橋
定まりし自分の色や衣替へ
早逝の友の呼ぶ声夕河鹿
梅雨明けの浜揚げ真珠選びをり

冬 帽 子  小林 貴美子
人群は安堵の坩堝冬帽子
倭  や ま国となる初日そらみつ老いゆかむ
母偲ぶなぞへの藪の寒椿
悴みて恨みつらみの中にをり
朝粥となる小日向の蕗の薹
白魚の踊り食ひする泣き笑ひ
行燈を曵く宍道湖の白魚漁
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星雲抄 昴8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
星雲抄   早瀬 秋彦 抽出

仮臥しの仮死の白鳥よみがへれ 岡田 律夫
つぶやくも応ふもひとり息白し 木内 宗雄
ひらがなで語るはなしや春隣 米山 光郎
瑠璃懸巣翔つ翳あをき霧氷林 伊藤美沙子
鶺鴒に急かされてゐる余生とも 仁木 孝子
向き合ひしいのちの鼓動初明り 堀越 寿穂
天狼や隠岐に祷りの御火葬塚 小林 量子
子の知恵の着きくる日々や冬苺 小川 時子
薄氷や形身の赤きトウシューズ 齊藤 良子
わだかまり解けず仕舞ひや亀鳴けり 山田 恭子
狐火や上目づかひの女達 岸本 正子
血圧の上がり下がりや冬日暮る 相澤 秀司
下伊那は柚べしアルプス兵の墓 久 篤子
肩書の要らぬ人生蕗の薹 森田 幸子
蕗の薹故郷の風の声すなり 梨 豊子
桃青も蕪村もはるか冬銀河 定松 静子
清水屋書店消ゆ仲見世に冬の月 土田 京子
職退きてよりの褪せ色冬帽子 長沼ひろ志
遺児五人育てし母の菜つぱ飯 篠田 重好
卓袱台の足たたむ音一葉忌 西村 友男
天焦がす野火渡良瀬の大原野 松 守信
悴みし拳を固め拉致憂ふ 道官 佳郎
粧はず生きゆく余生初鏡 神戸 和子
日脚伸ぶこゑあげさうな沼ひとつ 火野 保子
ひそみゐる明日への期待蕗の薹 森 万由子
定まりし自分の色や衣替へ 齊藤眞理子
悴みて恨みつらみの中にをり 小林貴美子
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「昴」再出発にあたって
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
人生派としての自覚  主宰 早瀬 秋彦

 本誌は石原八束という大きな存在の生涯の志向を継承し、文学として詩としての俳句を追求し続けることを目的としている。あくまでも象徴詩としての自覚に立ち、単なる自然諷詠や機智による表現ではなく、己が人生をしっかりと見据え、その生活実感の中から、力強く湧き起こる感動に根ざした作句を求めてゆく努力が肝要である。俳句が文学として生き残ってゆくためには、 人間への深い関わりが必要であり、 従来の雪月花を目的とした綺麗ごとの抒情や、 無味乾燥な写生のみの繰り返しでは、俳句は次第に自然消滅の危機に陥ること必定なのである。勿論作品の骨法を極めるためには、デッサンとしての写生や、詩としての豊かな抒情は不可欠のものであるが、恰かもそれが目的のごとく錯覚する傾向は作品のマンネリ化へつながってゆく。

 師八束は「生命の詩」と言い、あくまでも「人生派」で行こうと常々語っていた。内観造型ということも、人間内心の苦悩や感動を浮き彫りにして、人生のダークサイドに触れながら中身の濃い表現を追求することを意図してのことであった。常に精神闘争を繰り返し、俳句と生活が一枚になるところまで煮詰めて行き、苦悩する己れ自身を笑いとばす程の境地にまで到達しなければならないとのことであった。さらに師八束は晩年「戦慄と可笑しみ」ということをもしきりに言っていた。心象内観造型という生涯の作句観念を貫いた果てに、自然と滲み出て来る嗤いと、世のさまざまな事象に触れての戦きの中から、真の詩性の発露を模索することを信条としたと思われる。蓋けだし俳句は人生最高の遊びである。さまざまな理論を超越し、自由無碍の境地に遊戯する喜びを味会することが、我々俳句作者の目指す処であることを常に自覚しながら精進して行きたいものである。
(平成十八年秋号掲載)
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詩性探求 早瀬秋彦  昴 第8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
詩性探求  早瀬秋彦

鶺鴒に急かされてゐる余生とも  仁木 孝子

 敏捷な動作で川原の石を叩くように渡り歩く鶺鴒の姿に、作者は羨望のまなざしを向けていると思われる。そして、次第に老い深みゆく日日の淋しさを噛みしめている。人生観照の混濁した暗がりの中を、目の覚めるような動きと色彩が鋭く行き来する対照の中に、詩性が疼くように頭を擡げる。俳句詩芸の味わいはこのような処にあるのかもしれない。

狐火や上目づかひの女達  岸本 正子

 狐火という幻想的な季題を得て、作者の作句意欲が殊更に掻き立てられてくる。虚の世界への執拗な挑みが、人間世界への鋭い洞察を呼び覚ましている。作者の半生に亘る人生経験の中で、狡猾に巧みに生き抜いている女性達の姿を多く見聞きして来たと思われる。世のさまざまな苦難にもめげず、中傷にも負けず、常に柔軟に対応して生き続ける女性達を「上目づかひ」という表現で巧みに揶揄している。諧謔と諷刺の効いた作品である。

下伊那は柚べしアルプス兵の墓  久 篤子

 長野県の伊那地方には、筆者もかなり昔に数日滞在したことがある。天竜川が近くを流れ、中央アルプスが眼前に高く聳え、風光明媚であった印象が今でも胸に刻まれている。作者もその地方に消し難い思い出があって掲句を為したものと思われる。柚べしはこの地方の昔からの産物であり、素朴な庶民の生活の中から紡ぎ出された地味な食べ物であり、アルプスの青々とした山容も美しい。しかしその風光明媚な山里にも、戦争による悲しい傷痕が残されていた。「兵の墓」とさりげなく置かれた座五に、作者の万感の思いが込められている。

桃青も蕪村もはるか冬銀河  定松 静子

 俳句を志す者達にとって、芭蕉と蕪村とは共に心のふるさとであり、終生つきまとう願望としての存在である。芭蕉即ち松尾桃青は「おくの細道」に於てみちのくを旅し、蕪村もまた若い頃常盤ひたち結城を拠点として遠く津軽まで旅している。互いに百年の隔たりがあり、作風も境涯も異にする両者が、現代の俳句作者達に与え続けるものは豊かで深い。作者はそんな思いを胸に、漂泊の途に吟じた両俳人への崇敬の念を冬銀河に託して偲んでいる。

清水屋書店消ゆ仲見世に冬の月  土田 京子

 浅草仲見世入口右側にあった清水屋書店は、そこの店主であった黄雀さんの面影と共に懐しい。俳誌「秋」が何時も置いてあったことでも知られている。しかし、歳月の流れと共にその書肆も消え、今は跡形もない空間に相変らずの参詣の人波が行き来している。作者は或る日の暮れ方そこを訪れて、無量の感懐に浸っていたものと思われる。天空に浮かぶ冬の月に、黄雀さんをはじめとした「秋」の古い連衆の顔々が滲むように浮かんでは消えてゆく。懐旧のしみじみとした作である。

職退きてよりの褪せ色冬帽子  長沼ひろ志

 長い年月を仕事一途に勤めて来た作者も、定年を迎えてから自由な身となり、第二の人生の充実を期して頑張っている。堅実に歩んで来た半生への思いが、しばらくは作者の胸に搖曳していたが、歳月の深まりと共に、その執着も次第に薄れて、作句一途への転換に拍車を掛け始めている。愛用の冬帽子も、ふと見ると次第に色褪せた感じに見える。風雪にまみれたその「褪せ色」を、殊更に愛しみ慈しんでいる作者の風貌が浮かんでくる。老成の文学としての味わいのある作品である。

遺児五人育てし母の菜つぱ飯  篠田 重好

 父親の早逝或いは戦死によって、遺された子供五人を育て抜いた母への崇敬の念がこの一句には込められている。各々が成人するまでの長い年月の間、筆舌には尽し難い苦労があったことと思われる。しかし、常に弱音を吐くことなく、子供達には泣き顔すら見せずに頑張り抜いて来た。そんな気強い母も年齢の深まりと共に白髪も増え、顔の皺も目立って来ている。手作りの菜っぱ飯を、母の真心と受けとめるままに、味わっている作者のしみじみとした風貌が想像される。

粧はず生きゆく余生初鏡  神戸 和子

 俳句は老成の文学とも言われている。即ち長い年月をかけての人生経験が、一句の中に豊かな気息として込められ、読む側の心に迫る味わいにもつながってゆくということである。勿論若い頃の才気煥発な意欲による詩的発想も貴重なものであるが、年輪を増しての開き直りというか、世の中の表も裏も知り尽しての感懐の中に、熟達した表現の冴えが現われくるものと思われる。掲句は淑気に満ちた新年の雰囲気の中で、鏡に向かっている一女性の姿を彷彿とさせる。「粧はず」という上五の表現の中に、作者の衒いのない晩節の生活感覚が息づいている。

日脚伸ぶこゑあげさうな沼ひとつ  火野 保子

 如何にも作者らしい感覚描写の一句である。この中七は擬人法なのであるが、すんなりとして嫌味を感じさせないのは作者ならではと思われる。〈芋の露連山影を正しうす 蛇笏〉という稀少な成功作品に通うものを掲句から感じさせられる。次第に春の日射しが感じられる季節となり、作者はひと日郊外へ散歩に出かけたと思われる。ふと静かに澄み極まった沼岸に佇んで、その声を聴いたような錯覚に襲われる。〈琅や一月沼の横たはり〉は波郷の世に知られた作であるが、その青々と沈黙を保っていた冬沼が、春の陽光を浴びて声を出しそうだというのである。痛快な発想の妙が読む側の心に響いてくる。

定まりし自分の色や衣替へ  齊藤眞理子

 作者の生活感覚が違和感なく伝わってくるのは、「定まりし」という上五の効果と思われる。若い時からさまざまな衣装に気を配って来た作者が、次第に熟年になるにつれて、自分なりの色を好み、定着して来たといのである。男性には解らない女性独特の色彩に対する感覚というか、しっとりとした日常につながっているあたりが、この一句の魅力なのかもしれない。

搾乳の農婦無口に息白し  國分 利江

 遙かに山並みなどが見えるローカルな風景の中で、搾乳に余念のない農婦の姿が浮かんでくる。寒々とした朝の牧場の様子も見えてくる。そして、牛達の匂いなども感じられてくる。作者はかつて福島に暮らしていたことがあり、そのあたりで見た情景とも思われる。この一句が読む側の心にリアルに迫るのは、「無口に」という中七の描写と「息白し」という座五から来ている。寒々とした自然環境の中で、黙々として仕事をしている一女性の地道な性格さえも感じられてくる。

ころげ落ちさうな老坂山笑ふ  林美智子

 俳句独特の季語の効果を巧みに取り入れた一句として注目した。晩年にさしかかった作者が、己が脚の衰えにいつも気を配り、轉げまいとしている日常が感じられてくる。作者はその思いを「老坂」という表現に託し、その坂をころげ落ちる幻覚をさりげなく添えている。春先の次第に華やいでくる山々の情況が「山笑ふ」という季語なのであるが、その「笑ふ」というところを、恰かも大自然が晩節の作者を嘲笑しているかにも思わせる。このあたりが俳句表現の醍醐味と思われる。

寒明けのやや短目の影の丈  伊勢谷峯雨

 作者の感覚描写が効を奏した一句である。正月が過ぎ寒も明けて、次第に春の兆しが野山や郊外に感じられてくる頃、作者はひとり散策に出かけたのかもしれない。寒さの中で凍えていた日日から解放されて、心持ちゆるやかになった日射しを身に感じながら、一歩一歩街中から郊外へ出てゆく作者の姿が思い浮かぶ。「やや短目の」という中七の描写の中に、都会人としての粋な生活感覚の中から発想された息吹のようなものが込められていて快い。季節感が横溢している。

  負ひきれぬもの背負ひ来しちやんちやんこ  原  繁子

 己が半生を振り返っての、しみじみとした感懐がこの一句には込められている。「ちやんちやんこ」という季語が、人肌に触れたあたたか味と、風土の感触を伝えてくる。そして、子育てをはじめとして、さまざまな苦労に耐えて来た女性としての半生への回顧が上五中七の象徴表現から伝わってくる。幾人もの児を背負い、地道に歩み続けて来た母の姿の中から、血の通った人間としての味わいが滲むように伝わってくる。

冬蜂は傷つきやすし怖れをり  谷口 秀子

〈冬蜂の死に処なく歩きけり〉という村上鬼城の象徴的な作が思い浮かぶ。作者もやはり、よろよろと力なく翔び続ける冬の蝶を見て一句としたと思われる。そして、その蝶の姿から老いゆく己が姿を思い、怖れを感じたというのである。しかもこの一句の焦点は中七の「傷つきやすし」という表現にある。蝶の生態から連想したものは、一寸したことにでも動搖して傷ついてしまう、女性としての繊細な性格なのである。作者は南国串間に住んでいるが、掲句からは現代に生きる都会人としての微妙な心理が感じられてくる。

南国の空の群青鵙猛る  木島 幸子

〈滝落ちて群青世界とどろけり〉という水原秋桜子の有名な作が彷彿とする。筆者もかつてその地を訪れたことがあるが、日南海岸に代表される南国宮崎の風光は、まさに群青というイメージに尽きるものがある。作者はその南国の空気を胸一杯に吸って、屈託のない思いのままにこの一句を吐露したものと思われる。澄明な群青世界を鋭く切り裂くような鵙の声が、読む側の心に突き入ってくる。

看取り終へし歩みに風の光りけり  福冨 清子

 肉親を看取り、その葬を終えた作者の、切実な心境の中から発せられた一句として心に迫るものがある。さまざまな苦労や、悲しみも、また束の間の喜びや感動のひと時もあったことと思われる。己が若き日を過ごした金沢の地へ、作者は気強く幾たびも足を運んだ。しかし、今はその思いが忽然として断たれるかのように、最愛の魂は幽明の彼方へ消え去って行った。複雑な思いを胸に春兆す道を歩み続ける作者に、風光る季節が澄み透るように感じられたというのである。

掌  てのひらに丸薬六ツ冬の暮  渡辺 二郎

 最近体調を崩して入院した作者の、偽りのない生活実感の中から醸し出された作品である。俳句は巧みな描写も必要かもしれないが、読む側の心に直截に響いてくるのは、やはり作者の真心から発せられた言葉なのかもしれない。掲句は予後の日日に飲み続けている丸薬を、それとなく掌に乗せて見つめていたひと時を素直に描写して示している。ぼそりと呟いたような座五の「冬の暮」という描写も飾り気がなく如何にも作者らしい。多くを言うことなく、物で示す俳句の醍醐味がここにある。

吊皮を持つ寒荒れのわが手かな  西田 綾子

 電車の吊皮を握った己が手を、しみじみと見つめている女性としての作者の姿が思い浮かぶ。そして、その手から日常の生活の疲れと年齢の深まりとが感じられたというのである。しかも寒い冬の季節の中で健気に頑張っている己れに対して、励ますような思いでその手を見つめていたのかもしれない。「寒荒れ」という無雑作な描写が、殊更にリアルに感じられてくる。

人生や過ぎゆく干支の七廻り  平野 欣治

 最近息子さんを亡くすという逆縁に遇った作者の、切実な心境の中から吐露された一句である。上五の「人生や」という詠み出しに、作者の溜息が込められている。長生きをするということは、一見嬉しいようでもあるが、悲しいことにも遭遇するということを、作者は「干支の七廻り」というさりげない表現によって示している。老成の息吹きが込められた作品として心に響くものがある。

すつぴんの富士の全容鰯雲  本田ハズエ

 最近卆寿を越えて長逝した画家片岡珠子の作品を彷彿とさせる一句である。作者はおそらく晴れ渡った秋の一日、富士山の周辺に遊んだ折の印象を詠んだものと思われる。上五の「すつぴん」という俗語的な表現が、却って定着して感じられるのは、作者の素直一途な作句態度から来ていると思われる。惜しげもなく原色を配した珠子絵画のような無心な大らかさが、この一句の魅力につながっているのである。
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季節の窓  昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
季節の窓

 悴みて恨みつらみの中にをり  小林喜美子

 現代社会に生きる女性としての生活感覚の中から、鋭く発想された一句として注目した。掲句からはまず寒さに凍えている痩せぎすな女性の姿が思い浮かぶ。そして背後にはひしめくように立ち並ぶ高層ビルが黒々と聳えている。そのビルの中にはさまざまな人々が血走った眼を光らせなが右往左往している。現代という忌わしいメカニズムに操られながら、互いに傷つけ合い、喚き合いながら暮らしている。時計の針は冷たく時を刻み、パソコンは人間を従えてわがもの顔に明滅している。
 凍えている一女性は、長い年月の間、そうした現代のメカニズムの中で、終始怯え戦きながら生きて来、今も生き続けている。人間社会の化物じみた喧噪の渦が、彼女の周囲に今にも襲いかからんばかりに迫りくるめいている。ムンクの描く「叫び」のような情景がこの一句からは切実に滲み出してくる。
(早瀬秋彦)
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季刊誌「昴」発行所
2008-06-05-Thu  CATEGORY: お知らせ
〒113-0034東京都文京区湯島3-8-8
株式会社新製版 昴出版事業部
TEL 03-3836-5726
FAX 03-3836-4564
subaruof819@yahoo.co.jp

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新規俳句会員募集のお知らせ
2008-06-05-Thu  CATEGORY: お知らせ
年会費\8000
年4回発行の季刊誌「昴」(\1000/冊)を贈呈。
この季刊誌「昴」に俳句を掲載できます。
無料添削やオフ会開催など特典がいっぱい!

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