21世紀をたのしむ「昴」俳句会
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編集後記  昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
編集後記

 寒昴から昴になりまして一年を無事に過ごすことができました。又今回は、俳人協会より俳誌と認められ、会員推薦も一名枠をいただくことになりました。引き続き内容も充実して二年目に入りたいと思います。
 構想といたしましては、俳人をお呼びして座談会等を持ちたいと思っております。最初は誌上座談会かと考えています。皆様の忌憚ないご意見をお待ちいたしております。尚、同封しておりますが、年会費の納入をよろしくお願いいたします。
(友男)

 桜の花も散り、季節は、夏が真近か。皆様、お元気でご健勝のこととお慶びします。再出発の昴も、一年を経過し、これより真価を問われる二年目に入ります。老川主宰からは、秋口までを目途に、会員総会を開くようにと、言われています。具体的に向け、進めてまいります。全員参加を期待しています。
(守信)


◎入会について
 入会を希望される方は、発行所までお申し込みください。
 本「昴」は年四回(一月、四月、七月、十月)発行の季刊誌です。


年会費
 新年度(四月~三月)より次のように改めた
 同人 (星雲)一万二千円
 準同人(星霜)一 万 円
 会員 (光芒)八 千 円
 振込み先 ㈱新製版 昴出版事業部
 振込み口座 朝日信用金庫 湯島支店
 代表 西村充志アツシ
  普通口座 〇一四―〇三八〇九五八


原稿依頼 次夏号(通巻第二九号)
 ・雑詠 十句 題名を付す
 ・題詠 三句
 ・用紙 巻末の昴投句用紙を使用
 ・締切 平成二十年五月末日
 (締切厳守してください)


昴 第七号(通巻二八号)
   平成二十年四月末日発行
 頒 価  一、〇〇〇円
 発行人  早瀬秋彦
 編集人  西村友男
 発行所  昴俳句会
  〒一一三―〇〇三四
  東京都文京区湯島三―八―八
  株式会社新製版 昴出版事業部
  TEL 〇三―三八三六―五七二六
  FAX 〇三―三八三六―四五六四
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他誌管見   昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
他誌管見  岸本 正子

 (耕・海原・雲取・鴻・春野)

「耕」2008 二月号
 主宰 加藤耕子
 発行所 名古屋市瑞穂区石田町一―三六―七
  主宰作品「棹秤」より
 いてふ降る閻魔の使ふ棹秤
 板の間にしんと貼りつく夜の寒さ
 年惜む一日オペラに身を預け
   「樹林集 Ⅰ」より
 落葉して地に明るさを移したる 日比野里江
 割烹着の紐を固めに今朝の冬 山川 和代
   「樹林集 Ⅱ」より
 霜除もなき被爆樹の亀裂かな 重本 泰彦
 黄葉して母校に今も金次郎 水谷 成一
 主宰の選評中に、一句目の重本泰彦氏は「被爆者としての使命を果すべく広島の被爆を終生のテーマとして居られる。」とありますが道理で一読するや強かに胸を打つ何かを感じ取りました。今後ともご健勝にて作句を…。
 “発刊のことば 加藤耕子・有志一同”
 「俳句と文章の雑誌「耕」を発刊いたします。自然を作品の心とし、自己の胸を耕し、みがきあい高らかにヒューマニズムの灯を掲げます。作品にこめられた志が「耕」の風土をより滋味あるものとするよう期して居ります。」
 右の通りの内容の作品の満ちた一誌と存じます。

「海原」2008年 2月号
 主宰 木内怜子
 発行所 厚木市旭町一―二三―三―二〇五
  主宰作品「紅梅」より
 寒の水胃の腑へ喝を入れにけり
 紅梅や齢のことはさておきて
 いちめんの縞目こよなき麦生かな
   同人作品「珠玉抄」木内怜子推薦より
 居酒屋のいつもの席に熊手おく 阿部 佑介
 栗干すやひと日に古ぶ新聞紙 龍野よし絵
 日向ぼこ時間長者となりにけり 澁川 君枝
 鮟鱇の箱の形に生きてをり 松永 律子
 烏瓜重さの出でし色となり 本杉 純生
   「海原集 木内怜子選」より
 雑念の吸ひ込まれたる冬の空 小田原和子
 小田原氏の句の主宰評中に、「冬の空のさを伝えるために空とは全く異なる「雑念の吸ひ込まれ」と言い、読む側に冬空のイメージをゆだねたところに良さがあります」とあります。読者それぞれの。
 隣の灯見ゆる北窓塞ぎけり 小牧 初実
 小牧氏の句の主宰評の後尾に、「人との交りは難しいものですね。」とありますが…まことに。
 暗默の猫の集会冬満月 滝沢 千代
 ミステリアスな光景が目前に拡がります、冬満月の力は大です、言い得て妙。
 後記の主宰の文中に「近辺の方は直接「海原」の句会に出られるのですから遠くの方々とくらべ、より謙虚に進されますよう期待しています」と珠玉のお言葉が。

「雲取」2008年3月号
 主宰 鈴木太郎
 発行所 西東京市北町三―三―七
  主宰作品「狐火」より
 狐火の山おほかたは蓮如みち
 冬蕨命あるもの吹かれをり
 母亡きをうべなつてをり冬至の日
  豊雲集(同人欄より鈴木太郎選)より
 媛神に産みの力を冬うらら 下條杜志子
 枯萩にみづうみの音ありにけり 鈴木多江子
 初潮の珊瑚の化石拾ひをり 松永 幸子
 霜月の菊坂銘仙似合ふひと 藤 道枝
  積雲集 鈴木太郎選より
 掌中のもの零すまじ萩の風 橋 明子
 空に懸大根の力あり 中村由紀子
 一族の集ひて靜か施餓鬼寺 石川 力也
 橋氏作品の主宰評中に「萩の花はまさしく作者でもあるのだらう。また零してはならぬものは、自分を温めてくれる俳句や言葉でもあらうか。」とありますが、このお言葉もまた零してはならないと存じます。
 雲取十周年俳句大会の模様を記された下條杜志子氏の文中より一部を写記致します、「二百句に近い句は筆者にはどれも確実に前を向いて動いている氣配が読みとれた、巧拙をたがわずこれが「雲取」の原点であり、原動力ではないだろうか。句の姿の後ろから太郎氏の張りのある声が聞こえてくる。」
“雲取誌創刊十周年、おめでとうございます”

「鴻」2008 二月号
 主宰 増成栗人
 発行所 松戸市三矢小台2―4―
  主宰作品「冬まつすぐに」より
 沖に日矢鷹に男のここころざし
 冬まつすぐに麹場のがらんどう
 葱畑の真上の空が妻の空
 凛とした葱は、あくまでも他を引き立ててくれる名脇役で味覚界になくてはならぬ存在。
 このお句から慧津子夫人の御心柄が偲ばれますし、在りし日に真っ白な割烹着で甲斐甲斐しくキッチンにたたれたお姿が目に浮びます。
  蒼韻集より
 目つむりて見えるものあり雪しんしん 後藤 兼志
 冬仕度妻でありしはとほきかな 喜多みき子
  鴻作品集 増田栗人選より
 松笠のウェルカムリース山は雪 水上美津子
 冬りんごだんだん怖くなる童話 滝山  紅
 成人して改めて読むと底にひそむ怖さに慄然と致します。童話だから尚更。冬りんごの季語が心憎く、センスの程が偲ばれます。
  音集 増田栗人選より
 人にある帰巣本能冬の月 門馬 純子
 いつもとほる坂道されど十三夜 山内 宏子
 雪国の子らの明るき九九の声 原田  孝
 日向ぼこどつと笑ひしあとさみし 萩原 良子
 三句目と四句目 齢の大きな差を感じます。(ところで九々全部諳じられるかしら…筆者)
 栗庵閑話の「おでん」で知りました、あの芭蕉が蒟蒻が大好きであったことを。
 主宰の作品抄選評の文中に登場される「針谷定史氏」に教えられました、見事な晩年の生き方を。酸素ボンベを着用されての連載「西行論」の覇氣と熱の籠った迫力、しかし涼しく調った文体の力作に。
 呼吸器のわが息ぬくし冬空 針谷 定史
 エッセー・句・文・他、どれも力を注ぎ込んだ作品であることが読み取れる一誌。

「春野」2008 2月号
 主宰 黛  執
 発行所 神奈川県湯河原町宮上二七四
  主宰作品「夜汽車の灯」より
 ざうざうと山鳴る後の更衣
 枯山となる余すなく日を容れて
 湯ざめせし眼に遠い夜汽車の灯
  「日の匂ひ ながさく江」より
 胡麻を打つ日のぬくもりの一莚
 日の匂ひ集めて蓮の枯れゐたり
 銀杏ちる母と子に日のベンチかな
  「当月抄2月号 推薦作品」より
 冬波のひたすら白を押し通す 松本いさを
 御符貼つてあり白鳥の餌付け小舎 竹内 靜子
 冬ざれの村に全き月の出て 石川いち子
 紙幣四つ折一葉の忌なりけり 佐野日紗子
“黛 主宰の文中より”
 「私は句会では参加者の選句のありようにもっとも注意を払う。誰がどんな選をするか、その選のありようだけで、ほぼその人の資質と将来性が推量できるからである。」
“特別作品鑑賞 ながさく江”より
 掌の冷えてゆくなり曼珠沙華 椿  文恵
 「借りものでない独自の感性で、心象の彼岸花の中枢に触れた句…以下略…。」
“季語の周辺「春寒」田辺栄一”より
 春寒の白粉解くや掌 内藤 鳴雪
 「化粧に余念が無い女人というのは男性にとっていつの時代もエロティックに映ります。私にも女性のエロスを捉えた一句を成したい願望もありますが、そのためには駄句を幾つも重ねなければならないでしょう。」
 “マフラーの中にしみこむ朝の風 小六 瀬川 麻里”
 小一から中三まで栴檀の双葉も多数の芳しい「春野」誌。


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沖縄の季語の魅力  道官 佳郎
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
沖縄の季語の魅力  道官 佳郎

 毎年、本土を桜前線が北上する頃になると、私は沖縄の島々に吹く湿気を含んだ生暖かい風と、その下で白い波頭を見せる珊瑚礁の美しい風景を想い出す。
 沖縄でいう「うりずん」の季節の到来で、沖縄独得の自然の季感が島をつつみ、心を和ませるシーズンの到来を感じるからである。
 私は現役時代、昭和五十二年から三年間沖縄に在勤した想い出があるが、この沖縄特有の自然と気候、その中で暮らす人々の生活習慣の豊かさに、今でも限りない愛着を覚えている。
 沖縄と言えば、美しい海や空の観光の島、あるいは沖縄戦の慰霊の島、米軍基地の島など多面的なイメージがつきまとうが、もう一歩踏み込んで、この島に住む人々の魅力ある風習やしきたり、そして亜熱帯特有の動植物などの実態については、案外知られていないことが多い。
 そうした中で、沖縄の季語の存在はまことに貴重である。私は沖縄在住時代に、地元の琉球新報の「琉球俳壇」欄を度々読んでいたが、かなり教えられることが多く、沖縄の友人達との交遊にも大変役に立った経験がある。
 以下この時季の季語をいくつか書き抜いてご參考に供したい。

 「うりずん」
 うりずんは、うりじん、おれづみ、うりづみ等とも言われる。陰暦の二、三月頃麦の穂の出る頃の降りみ降らずみの時期である。
 琉歌に「うりつみウリズンのヌ夜雨ユアミ 節々も違ぬシチシチンタガン 苗代田のナシルタン稲ニ ヤや 色の清さイルヌチユラサ」とある。
 年中暖かい沖縄では、四季のけじめがはっきりしないので、春という語が元来なかったためか定説がなく、彼岸明けから立夏前までの曇や雨の日を指したり、現在では花曇に似た気候に使うことが多いようである。
 この時期、首里の金城町の石疊などを散策すると、そこはかとない情緒がある。
  うりずむや黒潮匂ふ畠を打つ  神元翠峰
  うりずんや月見えてゐて雨降れり  小熊一人

 「浜下はまおり」浜下はまうり
 陰暦三月三日、各戸で蓬餅を仏壇に供え、そのご馳走を持って浜辺に下り、手足を海水に浸して不浄を清め、健康祈願をしてから、潮干狩などで楽しく遊ぶ習慣である。
 美男子に姿を変えた蛇の種を宿した娘が、海の潮で払い流したという伝説に由来するらしい。観光で名高い宮古島近海の「八重干ヤ エ ビ セ」もこの頃のことで、観光客を交えた「浜下り」を行うので有名である。
  浜下りや紅の点うつ島の菓子  平本魯秋
  浜下りのみやらび眉をうすく塗り  兼城義信

 「草蝉くさぜみ」
 若夏を告げる昆虫に草蝉がいる。学名イワサキクサゼミである。仙台藩士の二男に生まれた岩崎卓爾氏が明治三十一年に石垣島測候所に赴任、発表したもので、体長一センチ足らず、甘蔗や芒などの葉に群れて汁を吸う。チッチッと鳴き出しジージーと鳴く。
  草蝉や漆喰厚き墓の口  小熊一人
  草蝉のまだ昇り来ぬ甘蔗の丈  進藤一考

 「若夏わかなつ」
 四月末の穀雨の頃から五月の初めにかけての時節で初夏の候を指す。琉球古謡の「おもろ」では、うりずんとの対語として使われている。本土復帰を記念したという昭和四十八年の若夏国体も、この言葉を使った。
 若夏ワカメツイがなれば 心ククル浮かされてリティ でかよう真肌苧よマハダラウユ 引フイきやチヤイり遊はアスイ
 (若夏の季節になれば心も浮き浮きとして、さあ乙女の柔肌のように奇麗な芭蕉の糸を引いて遊びましょう)
 まことに沖縄の風土の香り立つ言葉である。
  若夏の魔除獅子シーサーいかる屋根の上  角川源義
  若夏の碧海めぐらす地に棲まむ  矢野野暮

 「梯梧でいごの花」
 奄美大島以南の各島に自生または栽培され、太い枝に刺が密生する。花は長さが七~八センチ位、真紅色の蝶形の花である。
 枝先に小鳥が羽を拡げ樹枝をついばむ様な形で群れてつくのが特色。
 真紅の花が碧空にうかびまことに壮観である。花期は三~五月頃。さんだん花、黄胡蝶と共に、琉球の三大名花と呼ばれ、特に梯梧の花は沖縄県の県花に指定されている。
 公園や街の大通りなどを歩くとき、亜熱帯の太陽に映えて燃えるように咲き、いかにも南国らしい印象を与えてくれる花である。
  花梯梧海に突き出て碑をのぞく  角川源義
  花梯梧星を殖やして夜も炎ゆる  小熊一人

 「月桃げっとうの花」
 方言ではサンニンという。花期は四~六月で、沖縄が梅雨に入る頃から、雨の雫を吸って山野に咲く。花の長さは六センチ位。
 山裾などに眞っ白な花弁が点々と咲く様は見事で、独得の甘い香気を発する。
 葉は餅やおにぎりなどを包むのに利用され、そのうつり香が楽しい。
  月桃の葉づれに洗ふ明日の鍬  平良雅景
  牛鳴いて野の月桃が星まとふ  松本翠果

(引用參考図書 底月城著「南島俳句歳時記」、小熊一人著「沖縄俳句歳時記」)
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東京タワーの五十年  藤原 香人  昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
東京タワーの五十年  藤原 香人

 東京タワーは昭和三十三年に開業した。思えば戦後の東京の復興の象徴的なものであった。終戦、復興、それから高度成長へと日本の活力が充実して行く時代であったと言えるのではないか。このタワーには総合的な電波塔の使命とは別に、国産の資材と日本独自の技術で、エッフェル塔をしのぐ地上三三三メートルの世界一の塔を建てる意味もあった。現在の地上一五〇メートルの眺めは平凡で、六本木ヒルズや東京ミッドタウンなどの高層ビルによって、当初の面影はなくなった。それでも赤白の鉄塔は世界に誇る存在感がある。思えば、東京タワーの半世紀は、昭和が三十年、平成の二十年と両方にまたがる日本の栄光の時代であった――が、バブル期から日本経済は下り坂に迷い込んだ。大田弘子経済財政大臣は、先の国会演説で、いまの日本は一流の経済大国ではないと内外に表明した。
 日本電波塔株式会社としては、開業五十周年事業として、大展望台へのエレベーターの改修工事をはじめ、タワー五十年史も出版することになっている。タワーへの来場者は開業翌年の年間四九四万人から、一時二三〇万人まで減少し、最近では三二〇万人まで回復して来たが――三年後に迫った地上デジタル放送への移行によって、墨田区に建設される新東京タワーに総合電波塔の座を奪われることになり、展望塔としての生き残りを迫られることになる。東京タワーの川田総合企画部長に、これからの経営方針についていろいろ聞いてみた。「東京タワーには根強いファンがたくさんおられる、五十年の歴史をしっかりみつめてやって行きます」。有識者懇談会がまとめた東京タワー未来構想も真摯にうけとめているが、いま具体的に動く構えは見せていない。ともあれこの五十年間、ここで出会った人々、全国からつめかけた修学旅行の生徒達が、青春の心に刻んだ東京タワー。敗戦後十三年でこれができたのだから、みんなで頑張れば道は開かれると確信する。
雪霏霏と東京タワーを降り隠す  香 人
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現代俳句管見(七) 米山 光郎  昴 8号
2008-06-29-Sun  CATEGORY: 昴 8号
現代俳句管見(七) 米山 光郎

今もなほ敵は己れや老の春  深見 けん二 (「俳句」三月号)
 深見けん二氏は、すでに八十歳を過ぎて久しいが、句柄は伸び々々と自然の中に己れを存分に遊ばせていてたのもしい。俳句はともかく、いかに自分を詠うかといところに起結する。だから俳句は、私自身だといっていい。
 〈今もなほ〉の句は、己れを自身の目でとらえて詠っている。〈敵は己や〉という中七の表白は誰れにでもできるものではない。こうして表白された句に接すると、深見氏だけの想いではなさそうに感ずるけれども、でき上った作品を見ているからであって、やはり、作者のものである。しかも〈老の春〉というきめ方は、俳句人生をこれまで歩いてきた人でないとなかなか思いつかない言葉である。
 俳句のもつ独自性がこの〈老の春〉には、しっかりとこめられていて動ぎない。深見氏の詩性はまだまだ余祐がある。

懐剣の如き句が欲し寒に入る  藺草 慶子 (「俳句」三月号)
 蛇笏の句に〈炎天の槍のごとくに涼気すぎ〉というのがある。勿論このことは作者は百も承知のことである。刃物の鋭さを刃物を直接使わないで表白することも、ひとつの方法であるけれども、槍や懐剣を直に表白して、そこに鋭さを求めることは、たやすいことではない。
 〈懐剣の如き〉の句には、〈懐〉という文字の持つ意味合いが非常に深い。これは、俳句は、日本語だから成り立つ詞芸であると常々思っていることにつながる。十七字の最短詞芸は、日本語の持つ一語の多重性があってはじめて可能なわけである。〈懐剣の如き句〉俳句は、この懐剣の詩魂をさぐり出して詠うことにつきるのである。〈寒に入る〉という下五は、作者の今ある姿といってもいいのかも知れない。

色違ふ荷の紐を足す夜長かな  能村 研三 (「俳句四季」三月号)
 能村研三氏は、父・登四郎の句誌「沖」を継いでまだ浅い。俳句界のホープというにふさわしい。俳句は、登四郎よりも柔和でいて鮮しい。これは、二十一世紀の俳句の明るさを示しているのかも知れない。
 〈色違ふ〉の作品から、作者のゆとりあるものの見方が窺える。〈色違ふ荷の紐を足す〉という表白の流れからは、若者の短絡さがない。句の調べは入江にゆるやかな波を思わすに十分である。〈夜長かな〉という結句がなんの抵抗もなく決まっている。たしかに、その波に浮く風景には、若さを感じさせてくれる。〈色違ふ紐〉という内容がそれである。
 俳句という十七字の中に、これ程豊かな想念を伝えるということは、やはり若さのしかるしめるところかも知れない。

古家屋埋めやうのなき隙間風  石井 保 (「俳句通信」42号)
 季語の中で「隙間風」は一番、俗な言葉のひとつであるかも知れない。和歌は雅、俳諧は俗という論からいうと、この「隙間風」は俳句にとって最もふさわしい季語といっていい。もっとも季語は、和歌の雅を引き寄せるための手だてのひとつであるといえなくもないので断定することはできない。
 〈古家屋〉の句は、作者が蛇笏・八束の大河の中にあって、動ぎない独自性をもっていることを考え合せて観賞すると面白い。作者の身辺に吹く〈隙間風〉とは、どんな風なのであろうか。〈埋めやうのなき〉と吐露しているところをみると、現今の世情をも含めてのことに違いない。
 俳句に生きる作者の生きざまが、一句の中に深く詠まれていて、〈古家屋〉という大きな重石の負が浮かびあがっている。

臼を碾く古き世の音冬すみれ  南  俊郎 (句集「養花天」)
 日本の芸の全には、形式が厳として有る。その形式を除いては芸といわない。俳句においてもしかりである。五七五という定形・季題・季語を守ること、さらに切字である。これを厳守することが俳句の姿形である。
 〈臼を碾く〉は、この形式を確りと守っている。それでいて、句の内容のひろがりは深い。
 南氏は、蛇笏・龍太を師とし現代俳句の骨法を自分のものに育てあげている。石臼を碾くひびきの重さは、それこそ日本の俗な響きといっていい。そこに生きて、その音を、冬すみれなる人間が聞いているのである。現今の三色すみれ、パンジーの姿ではない。
 私の家の一位の株元の冬すみれはもう盛りをすぎて、花は褪せ、葉叢だけが、早春の風に揺れている。冬すみれには、たしかに、石臼を碾く、あの音がふさわしい。いい得て妙といえる秀品である。

銀漢や地に張り付いてもの思ふ  川村 幸子 (句集「母の手絡」)
 川村幸子氏は、石原八束先生の俳句教室で俳句を学び、「秋」に入会、同人となって、「秋」一筋に精進している。だから、俳句に迷いがない。句集を拝見してその心意気が窺えてたのもしい。
 〈銀漢や〉は句集の最後の頁を飾る秀品である。川村氏は七十台に入った実人生の経験者である。俳句は人生の経験者の詞芸であると、師八束は言っている。やはり、省略の詞芸には、大いなる経験が必要である。川村氏は、この句の中で〈地に張りついて〉と自からの姿勢を表白している。〈もの思ふ〉ことを、地と結びつけること、これはやはり人生を経験した人の、ものの考え方である。しかも〈銀漢〉という天空を眺めてのことである。この確かな地についた歩みこそが、今の私達にはなくてはならないことである。勿論俳句を詠む上でも…。

どんど燃ゆ後ろ九頭龍川の闇  平野 紀美子 (句集「九頭龍の鳰」)
 平野紀美子氏と平野稔代の姉弟による句集「九頭龍の鳰」は、石原八束先生への尊敬の念をしっかりと礎として、九頭龍川の瀬音を胸中山河とした読み応えのある一書である。
 〈どんど燃ゆ〉は、平野俳句代表の一句といっていい。しっかりと、自分の風土を踏まえて俳句を詠んでいる。どんど焼きは、今も各地に残っている正月行事のひとつである。
 その、どんどの火が燃えさかる後には、九頭龍川の大いなる流れがある。その流れにはどんどの赤さが映っている。その赤さゆえに、闇の深さが一層厚くかぶさってくるのである。あるいは、その闇は、現在の九頭龍川流域に生活している人達の思いものしかかっているのかも知れない。ただ、この九頭龍川の闇からは明るい光が放たれる刻が来るように思えてならない。それは、平野紀美子氏の生き様の明るさからかも知れない。

天体のひとつに載つて日向ぼこ  樟 豊 (「秋」三月号)
 樟氏の俳句から得るものは沢山ある。樟氏は俳句の中に、独自の思いを存分詠い込んでいる。己れを通すその詠い方にこそ、〈俳句は己れの生きざま〉ということを教示してくれているように思えてならない。
 樟氏は、今、健康を害している。しかし、俳句が大きな支えになっていることも事実である。
 〈天体のひとつに〉の句、なんともおおらかな句ではないか。この思いは誰れにもそうありたいという願いがある。日向ぼこという思いは、〈天体のひとつに載つて〉という心意気なのかも知れない。これ程、大きな想念を俳句の中に持ち込むことのできるのは、樟氏をおいて他にないかも知れない。
 師・八束は、季語の二重性を強調していたけれども、樟氏の〈日向ぼこ〉は、多重性としての役割を果たしている。

焼芋を包む新聞の政治面  高橋 宏子 (「瀚海」31号)
 高橋氏の俳句は、常に生活と密着したところを詠っている。だから、誰も解る句である。俳句という十七文字の詞芸のあやうさはこの短い型に負うところが大きい。それは、殆んどの人が、短かさの中に背負いきれない想いを荷せよとするからである。そのことは否定はしないが、やはり、自分の守備範囲の句を詠むことが重要である。
 〈焼芋を包む〉の句、時事俳句である。しかし難しいことは何も言っていない。作者は焼芋で温まった新聞のありがたさをまず言いたかったに違いない。皺になった温かい新聞を開いて芋を取りだそうとした時、政治面であることに気付いたに相違ない。そこに書かれている記事の中味は、焼芋のぬくもりのいかほども感じられない。そんなことを思いながら、作者は一句を得ているのである。俳句の道の一筋である。

故旧呼ぶ大白鳥の嗄れ声  老川 敏彦 (「昴」第7号)
 老川主宰の俳句に対する時は、時に正座をしなければならない。師八束の俳句感を全身で受けとめ、その中から自分にかなったものを選び抜いての俳句詠法であるからである。
 主宰は、〈「昴」再出発にあたって〉の中で、師八束の「生命の詩」をふまえて〈蓋し俳句は人生最高の遊びである。〉と言い放っている。また〈自由無碍の境地に遊戯する喜びを味会すること〉と言う。
 〈故旧呼ぶ〉の〈嗄れ声〉には正に、老川主宰の 〈自由無碍の境地に遊ぶ喜び〉の声が詠まれているといっていい。主宰は今、病気と闘っておられる。その中にあって、このような白鳥の声を詠うことに大きさを感じないわけにはいかない。物事を切実に詠うこと、これは師八束の俳句感でもある。老川主宰は、これを、俳句は切実に遊戯することであるといって俳句に精進しているのである。


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